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2013年12月29日日曜日

イスラエルに関する10の嘘・・ここにも捏造国家があった?

こう言う人を本当のジャーナリストと言うのでしょう。
その勇気に敬服します。
今の日本には一人も見当たりませんね。 

彼の言っていることは全て本当です。 恐らく日本の記者や政治家は恐ろしくて知っていても言えないのでしょう。 日本の政治家だけではありません。オバマ大統領といえども本当のことを言ったが最後、生きてはいられないでしょう。 かつて、J.F.ケネディ兄弟が殺されたのも、J.レノンやM.ジャクソンが殺されたのも、彼らが本当のことを公言し始めたからです。 安倍さんは、そのことを知った上で命を賭けていますが、日本のメディアは、自己保身に走り、彼を守ろうとしません。 世界は、その位、非情な人々によって支配されているのだということを信じようとしないのは、団塊の世代の能天気な人達だけです。


関連サイト
世界は狂人によって支配されている・・ジョン・レノン
911テロ_ロックフェラーの予告(アーロンルッソ監督)

2013年12月27日金曜日

安倍晋三首相 靖國神社本殿及び鎮霊社公式参拝・・偏向報道の好例

安倍さんの靖国神社および鎮霊社参拝に関する報道でカットされているところを見れば、マスコミの偏向振りが良く分かる。



鎮霊社とは、靖国神社に祀られていない、全ての戦場に倒れた人々、日­本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて全ての戦場に倒れた人々の慰霊のための­お社です。

ここを同時に参拝したことを報告しているにも関わらず、そのことに全く触れないという姑息な印象操作を行う・・・これが偏向マスコミの常套手段です。

予想通りの安倍叩き・・一番熱心なのは日本のマスコミ!

日経などは、昨日の夕刊トップで中韓の反発必死、米国の反応も懸念されると謳って、彼らの非難を催促し、今朝の朝刊では、やったー!とばかりに彼らのお先棒を担いだ安倍批判を書き立てている。

他紙はとっていないので知らないが、恐らく安倍擁護の記事は皆無だろう。
これが、米中(+韓)とその走狗と化した我国マスコミの日本封じ込め作戦の実体である。
国際社会の批判も必至というが、この手の常套句の後に、具体的国名が挙げられたためしがない。東南アジア各国や、インド、アラブ、アフリカ、中東欧、シルクロード各国など世界の大半の国々が何と言っているか一切報道しないが、直接聞いてみれば、安倍批判など何処からも聞こえてこないはずだ。ロシアですら恐らく何も言わないだろう。

アメリカの本音は常に日本を永久に隷属させておくか、日中韓を争わせて共倒れを誘うことであるから、それはそれで筋が通っているし、中国もアメリカの出方を気にしながらも日本を華夷秩序の末端国として隷属させたいのだから、これも尤もな反応である。

キャロライン・ケネディは、米国の日本離れをカモフラージュするための "友好親善大使" だと思っていたが、案の定、日本政府の事前通告に対して無回答のまま、本国政府へスルーしたと言う。有能な大使としては、蓋し、当然のことである。

韓国(≒朝鮮)に到ってはあわよくば漁夫の利を得ようと画策しているだけだから、これも油断は出来ないがまともに相手にするに国ではない。

幾日か前の日経書評欄(永遠のゼロ??)だったか、戦前のきな臭い雰囲気に似てきたというような記述があったが、あの頃に似てきたのは、むしろ開戦必至と煽り立てた新聞論調のほうである。
当時も陸海軍のトップは、新聞が煽動する世論に踊らされた青年将校と称する野心家達を抑えるのに苦労したというのが実体であった。

普段、伝統文化の重要性を訴えながら、首相の靖国参拝が日本人としての伝統的心情から出ているもので、A級戦犯などとは何の関係もないことを一面全紙面を使って説明すべきなのに、日本文化を理解しない国の疑問に答えるどころか、その揚げ足取りの尻馬に乗って安部批判をエスカレートさせる一方のマスコミこそ、"国際摩擦"の元凶である。

そもそも、賊軍の大将であった西郷隆盛すら合祀されているという事実を知っている日本人がいったい何人いるだろうか。

理解されないから、説明しないで迎合するというのは、世界中の真の有識者を馬鹿にした話で、返って来るのは、落胆と軽蔑だけである。せめて、ドナルド・キーンとのインタビュー記事くらい載せて然るべきだ。

もっとも、敗戦国なんだから、永久に戦勝国のいうこと(例えばニュルンベルグ裁判や東京裁判)に従うべきだ、という理屈もありうる。
だだし、そうなると、気概ある敗戦国が何百年掛けても報復戦争に勝とうとするのを諦めろとは言えなくなる。その結末はジェノサイドしか有りえない!

ジェノサイドに甘んずるか、隷属に甘んずるかの2者択一で1億人のコンセンサスが得られるとは思えない。

そうそう、もう一つの選択肢を忘れていた。
嘗てのユダヤ人のように、少数のエリートと大多数の被差別難民として国家のない流浪の民の道を歩むことである。 しかし、その場合、70億人が犇めきあう苛烈な国際社会の中で、嘗ての日本人として生き残れるのは1億人のうち精々数百万人が好いところだろう。

これが敗戦国が独立国家として存続することの真の難しさである。
当面(何百年?)は、臥薪嘗胆を続けるしかあるまい。

2013年12月25日水曜日

安保闘争論に対する違和感・・戦後民主主義なるものの正体!

今日の日経夕刊文化欄に、今年の収穫と題していくつかの催しが取り上げられている。 その一つに関する記事のなかに"70年安保闘争の挫折感"という文言があった。 私は、この"安保闘争の挫折"という言葉に当時の実態を知らない物書きや観念的革命論者の自己陶酔の臭いを感じて不快になった。

 私が体験したのは60年安保闘争だったが、実態は極く小数のコミンテルン工作員とそのシンパによる空想的革命運動だったに過ぎない。それが数10万の学生を動員できたのは、単に彼らの企画したデモというイベント以外に高揚感を味わう機会がなかったからで、決して彼らの説く反体制主義に共鳴したからではない。 今日で言えば、興行主に踊らされて野外コンサートに動員される数10万のミーハー的聴衆と何ら変わりがない。

私自身3,4回デモに参加したことがあるが、政治思想とは無縁に近いお祭り騒ぎだった。クラスメートの一人が国会前で逮捕され、数日間拘留されたときなどは、安保に対する賛否とは無関係に仲良く代々木駅前で差し入れのための募金活動をやったものだ。ときには学生服の私たちを見て真顔で激励してくれる女性がいたりして気が咎めて仕方なかった。 

後で、出所してきた本人の話では、寮の部屋の名前が社会主義的だというだけの理由で、急進的革命主義者に分類されていたらしいが、実際の本人は全くのノンポリで寮の部屋の名前など気にしたことはなかったと言うのだから恐れ入る。しかも、警官や他の入所者(軽犯罪者?)からは、一目置かれて特別待遇だったと言うに至っては、岸を倒せ!などと無責任なシュプレッヒコールで声を張り上げていたのが申し訳ないというものだ。

樺美智子の死などは、悲劇に祭り上げられているが、当時のクラスで同情論など聞いたこともなかった。そもそも女の子がわざわざそんな危ないところに出ていくほうが非常識だというのが、世間一般の反応だった。 
エヴェレスト征服(国会占拠)を目指すなら、それなりの準備と覚悟が必要だということくらい、三浦雄一郎でなくても分かる。 他の参加者も似たりよったりで、駒場のクラスの雰囲気も合ハイに出かけるときとさして変わらなかった。

それが、新聞記事やTVニュースになると、いかにも国家の一大事、あるいは、若者の英雄的壮挙であるかのごとくに報道され、さらに、時が経つにつれ、諸々の書籍や論文で、歴史の転機だとか、挫折だとか大げさな表現が定着してしまう。 まさに "見てきたような嘘を言い" である。

以上は60年安保闘争の話であるが、70年安保は、60年安保の縮小版で、革命主義者が暴走し、一般学生が離反して運動の正体が鮮明になっただけのことだ。
それは、全共闘、連合赤軍、浅間山荘、日航機ハイジャックと北朝鮮への亡命といった一連の経過を見れば議論の余地がない。

いずれにしても、一部の確信犯達の活動を恰も国民の総意であるかのごとく喧伝し、反政府の世論作りに狂奔するマスコミや知識人と称する人々が、いかにも大事件であるかのごとく有ること無いこと言い続けるのは、要するに彼らがこれら革命主義者の一味であるか、それを種に高給を貪っている共犯者のどちらかだからに違いない。

同じ台詞を繰り返す藤末健三議員・・「閉ざされた言語空間」の住人がここにもいた!

民主党質問者藤末健三議員の某国大統領並みの無恥(無知?)で空疎な言葉遊びは、まさに駄々っ子としか言いようがない。安倍さんの忍耐力と包容力も大したものだ。 これなら問題小中高校の校長になっても務まるだろう。

それとも若しかしたら質問者の真意は、安倍さんを問い詰めることではなく、愚かな人々を納得させるために自ら馬鹿を演ずるところにあるのかも知れない。
"さくら" 役を買って出ているのだと思って見れば、野党議員もそれなりに建設的な演技をしているではないか!

2013年12月23日月曜日

結婚式に相応しくない歌・・マルティーニ「愛の喜び」

60年代に記憶が退行したせいか、頻りに当時聴いた歌を思い出す。マルティーニの愛の喜びもその一つだ。

61年7月に級友の東君から、彼の姉が九段会館で渡欧記念リサイタルをやるので暇だったら来ないかと誘われて聴きに行ったことがある。立錐の余地もない満席だったこと、怖い先生方受けのする難しい歌が多かったこと、細っそりした美人だったというくらいの印象しかないが、アンコールで歌われたのがこの曲だということだけはよく覚えている。

当時、世界名歌集で楽譜を見て口ずさんでいたメロディーと合っていたので、義務教育レベルの読譜力でもまんざら捨てたものではないなと妙に安心したものである。東敦子さんの歌ったものをYouTubeで探したが、残念ながら見つからなかった。他の歌手のものは山ほどあった。

Elisabeth Schwarzkopf
http://www.youtube.com/watch?v=IjBNp07_qok

Kathleen Battle
http://www.youtube.com/watch?v=g7mpEatLGks

Saori Nakazawa
http://www.youtube.com/watch?v=OAk2p8zdC8M

Plaisir d'Amour Dresden (Andre Rieu Tour)
http://www.youtube.com/watch?v=WLYgXm8s3p4

この曲が何故、結婚式に相応しくないのか、歌詞を読んでみればわかる。

・・愛の喜びは はかなくも消えて
愛の苦しみ 心深く残る
あなたは 私の思い見捨て
新たな愛に 身をゆだねた・・
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
J'ai tout quitté pour l'ingrate Sylvie.
Elle me quitte et prend un autre amant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
Tant que cette eau coulera doucement
Vers ce ruisseau qui borde la prairie,
Je t'aimerai, me répétait Sylvie,
L'eau coule encore, elle a changé pourtant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.

2013年12月16日月曜日

心に残る歌・・ヒデとロザンナ「愛情物語」

ヒデとロザンナの歌の中で、というより当時聴いた全ての歌の中で一番心に残る歌でした。これまでどうしてもこの歌が見つからなかったので、私の記憶違いかと諦めかけていましたが、えむんこえむこさんのお蔭で半世紀ぶりにやっとめぐり合えました。

http://youtu.be/ZePM3sX3Yfs

原歌詞はここにありました。

別れたあなたと 三年たって
街の小さなカフェで ばったり逢った
涙をこらえて あの時去った
こんな気持なんか あなた知らない
どうしてこんなに 胸がときめくの
忘れたはずの 恋人なのに

愛したあなたと 短いけれど
想い出にふれあって 時が流れた
涙をこらえて あの時去った
こんな気持なんか あなた知らない
あの頃二人 若すぎたのか
心とからだ しばりあうには

さらば、60年代・・はしだのりひことシューベルツ「風」

20代後半、丸の内でSEとして徹夜しながらシステム開発や食べ歩きを楽しんでいた頃だったと思います。徹夜明けで出かけた、信州上田から野尻湖、妙高高原の一人旅を思い出しました。

先月、当時の相棒、大嶋誓一君が、この4月に他界したことを知りました。
3月に、竹馬の友、阿部佳文君が逝ってしまったときもそうですが、何だか自分だけが取り残されているような気持ちが募ってきました。



デビュー当時のシューベルツはこうでした。

歌詞は、コメントの中から見つけました。

人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人はだれも 人生につまずいて
人はだれも 夢破れ 振りかえる

プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ

振りかえらず ただ一人一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ


2013年12月15日日曜日

日本が国家として生き残る最後の機会・・障害は、特定秘密保護法に対するアレルギー

マスコミやその報ずる世論による特定秘密保護法悪玉論が喧しい。
本来ならば、機密保護法がないことを恐ろしがって然るべきだと思うのは私だけだろうか。
年寄りが次の世代の議論に口を出すのは野暮だと思うが、全会一致は無効というのが古代ギリシャ以来、民主主義の鉄則なので、敢えて一言・・・。

企業機密のない企業経営が成り立たないのと同じように、国家機密のない国家の自立がありえないのは自明で、機密保護法のない国は、今の世界に日本しかないと言うことだけは承知していた方が良い。

自国政府の公正と信義は、必ずしも他国政府の公正と信義と同じとは限らない。 それを押し通せるのは、覇権国家だけである。 安保理常任理事国が未だに覇権争いをしている所以であり、最近は、イランやインドも参戦して来たようだ。

日本のマスコミと教育界では、国家対国家の議論をタブーにして、国家対市民の関係のみに、人々の関心を閉じ込めようとしているが、そういう風土もまた日本だけである。
ハーバードにも、オックスフォードにも、外交、防衛等の講座がそろっているのに、日本では最近になってやっと東大法学部に安全保障という遠慮がちの名称の講座が出来たばかりだと担当教授が嘆いている。

マスコミがこぞって非難する中で、敢えて実名で反論する無名の個人は、私くらいのものだろうが、もし、私が有名人だったら今頃脅迫メールが殺到しているだろう。
twitter,  facebook etc. が、米国を始めとする、各国諜報機関の国際世論監視・操作システムとして活用(盗用?)されているというのは国際常識である。

2013年12月11日水曜日

社長と取締約の関係・・60年以上続いている公然の虚構!

商法で定める取締役とは会社の持ち主であり、その最も重要な仕事は、社長の任免であり、査定である。
戦後、連合軍の日本改造(実体は弱体化)政策の一環として行われた財閥解体と公職追放によって、主要な持ち主が一掃された後、あらゆる分野で一雇われ人に過ぎない部長レベルの人物が商法上の社員でもないのに社長に成り上がり、商法と連合軍の指示には形だけ従って、会社を私物化し、他の従業員と世間を騙し続けてきた。

このことは、上場会社の役員、マスコミ、学者やその他の評論家と称する人々の間では、公然の秘密というより、常識である。

それが何故かくも長期にわたって不問に付されてきたかと言えば、そのことに異を唱えたが最後、企業社会から追放されるか、場合によっては抹殺されかねなかったからである。
また、そのことに気が付く頃には、役員候補の一人くらいにまで "出世" しており、準共犯者になってしまうからでもある。 現に私自身、富士通の部長になった後、何年か後に、同期や後輩の何人かが役員になるまで、本当のところは分からなかった。

さすがに、最近では "執行役員" などという名目で商法上の役員ではない(つまり、オーナーではなく使用人に過ぎない!)役員もどきの役職を作って、相変わらず世間を騙し、従業員には飴玉をしゃぶらせ続けているが、乗っ取りの張本人である社長たちは、いまだに "会社は、従業員(の中から選ばれた自分!)の物だ" と言い続けている。

もちろん、戦後の混乱を乗り切る過程では、実務に精通していた練達の従業員を登用する理由はあったし、それなりの成果も挙げたことは確かである。しかし、それと同時にノブレス・オブリージュが徐々に失われ、悪しき官僚主義が蔓延り続けてきたことも、また厳然たる事実である。

例を挙げればきりがないので、一つだけ例示しておく。後は、 読者自身が自分の周囲を見渡せばいくらでもおかしな事実に思い当たるだろう。

例: 役員報酬の怪!

大企業が不祥事を起こしたと糾弾された際、役員報酬を何割かカットしてお茶を濁すのが一般であるが、それがどの位の額なのかは一切、触れられていない。
普通の人たちは相当な金額なんだろうと想像するかもしれないが、有価証券報告書に記載されている役員報酬総額を役員の数で割ってみれば、それが雀の涙ほどだと言うことがわかる。
世間の人々、とくに大半のサラリーマンは、役員になれば格段に給料が上がると思っている。
それは、事実でもあり、誤解でもある。要するに誤魔化されているのだ。

今の日本では、商法が、完全に形骸化し、役員(取締役)とは、従業員の長たる社長が任命するお小姓組に過ぎない。 社長の任免や査定はおろか、取締役会で社長に異を唱えるなど、決死の覚悟でないかぎり出来るわけがない。

したがって、役員報酬とはお小姓の忠誠心に対するご褒美であり、象徴的なものであるから金額が大きい必要はなく、僅かの差で一喜一憂させることができれば十分だということになる。
また、少ない報酬に甘んじているように見せる方が株主や世間からの非難もかわし易い。

では、彼らの高額所得は何処から来るのかと言うと、専務何々担当とか、常務何々本部長とかいう名の従業員としての給料である。
役員に取り立てられた従業員の給料が、その従業員ランク(平、常務、専務、副社長、社長等)によって一般雇用者とは隔絶していることは誰でも知っているが、それは商法で規定され、有価証券報告書に記載義務のある役員報酬とは別物である。

したがって、社長が引責辞任するときなど、代表取締役としての役員報酬は返上しても、従業員としての社長給料や退職金は満額受取って当然と言うことになる。
また、社長以下各取締役の所得の大半を占めている給料部分の公開を迫られても従業員の給料を公開することはプライバシーの侵害に当るという屁理屈で拒否できる仕掛けになっている。

重責を担っていると言う理由で高額の報酬を受け取りながら、その大部分は、しがない従業員としての給料だと言いはる無責任集団が我国の中枢に跋扈するようになって久しい。

以上が従業員による会社の私物化とノブレス・オブリージュの欠如の一例でもあり、淵源でもある。

2013年12月4日水曜日

日経"寸評"欄の特定秘密保護法案反対論・・あんたには言われたくない!

今朝の日経"寸評"欄に、特定秘密保護法案の "拙速審議" と可決後に懸念される "言論の自由弾圧" と "専制政治" への "懸念" が縷々述べられている。

これを読んで、反射的に浮んだのが上記 "あんたには言われたくない" という言葉であった。

寸評子は、"拙速審議" と言われるが、自分達が過去数十年に渡って "言論の自由" なる葵の印籠を振りかざして、我国を "閉ざされた言語空間" の中に幽閉し、"国家・国民の安全に対する懸念" を無視し続けてきたことには一切触れていない。

また、"言論の自由弾圧" と "専制政治" への "懸念" と言いながら、相変わらず、無政府状態の国々や米国を始めとする "似非民主主義先進国" における被支配階層の悲惨な現状に目を瞑っているのは何故だろう。

もし、専制政治が国民を不幸にするというのが事実なら、事実上の国王専制国家であるサウジアラビア国民は暴動を起こして然るべきであるし、その気力すら奪われているからだと強弁するなら、世界世論の先頭に立って反王政キャンペーンを張って然るべきであろう。

寸評子が懸念しているのは、自分達の "無責任な言論による専制政治" が責任を問われることではないか。

絶対王政時代の王権にも等しい自らの権力を恣意的に行使しながら、"政府・与党の悪意" に対する "懸念" を喧伝し続けるマスコミに対して多くの国民はそう感じているに違いない。

発言には常に責任が伴う。まして国家・国民の命運に関わる発言であれば、時には命も賭ける覚悟が求められる。 明治維新以来、文士・農民と言えどもそうしてきたし、今でも、内外の責任ある発言をしている人々はそうしている。

寸評子には、"先ず魁より始めよ" という言葉を進呈したい。