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2016年4月13日水曜日

東工大は国立大学の看板を下ろすべきである。

入学式の祝辞を外国語(のみ!)で行うということは、日本人のための教育機関ではないということですから、国民の税金で養っていく理由がありません。
この学長は格調の高い日本語が使えないのでしょうが、英語にはよほど自信があるのかもしれません。
仮に彼がオックスフォードかケンブリッジを首席で卒業していたとしてもそんな人物の自己顕示欲を満足させるために国家予算を使うのは、どこかの知事の不正支出以上の売国行為です。

明治維新の際、日本語廃止論を唱えた森有礼を、「・・この人のごときは寄席の落語も聞いたことなきならむ」と痛烈に皮肉った福沢諭吉の爪の垢でも飲んで出直して来いと言いたくなります。

1 件のコメント:

  1. 京大の山極学長は、京大生よ日本語で考えよ、英語は単なるツールに過ぎないと仰っています。もちろんその前提には、京大生たる者はツールに過ぎない英語など使いこなせて当然という厳しい要求と誇りがあるということです。また東大のカリキュラムには英語で入試を受けてくる外国人留学生のために英語で受講できる講義がずらーっと並んでいますが、2年次以降は人文系必修科目を日本語で受講させる方針だそうです。折角日本に来た有為の若者を日本文化の精髄に触れさせずに帰す手はありません。
    東工大学長には軽薄な自己満足と自己顕示欲しか見受けられません。国家公務員としての自覚に欠けることもさることながら、学生をスポイルする売国行為です。

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