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2015年8月16日日曜日

戦後70年談話・・ヴァイツゼッカー演説の日本版

すべて正論で押し切ったのは正解です。
安部首相にも大宰相の風格と凄みが出てきました。

全文を通して受ける印象は、ワイツゼッカー演説の日本版です。
これでは、文句を言いたい国も黙るしかないでしょう。

例えば、ワイツゼッカー演説のデッドコピーを盛り込んだのはどこかの国に対する痛烈な皮肉でしょう。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。」

また、次の一句は、先般、来日したメルケル首相の言葉を借りたものです。
「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。」
これも寛容でないどこかの国に対する強烈な皮肉です。

極め付けは次の一句です。
「国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。」
この句の伏線が、冒頭の第2節です。
「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」

参考までに、ワイツゼッカー演説と読み比べてみてください。
http://byoshonikki.blogspot.jp/2014/08/blog-post_26.html

2 件のコメント:

  1. もう一つ気がついたのは、この案文を採用するに当たっては、ドイツ政府との戦略的対話があったはずだと言うことです。戦後レジームからの脱却で日独の相互協力体制が始動したのではないかと思われます。当然、米英仏3国の反グローバリストとも連携しているでしょう。ある日突然、ホロコーストの見直しが始まっても驚きません。

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  2. 70年前、ド・ゴール仏大統領は、ヴィシー政権下における膨大な数のナチス協力者の存在を知り、それが将来にわたってフランス国民の一体感を損なう癌になると察知、一切の告発を封殺し、大戦中フランス国民は一致団結してナチスに対するレジスタンスに臨んだという虚構の物語を学校教育やメディア報道で徹底させ、国民の自尊心を回復させました。
    30年前、ワイツゼッカー大統領は、すべてのドイツ人はヒットラ-とナチス党員による圧政の犠牲者だったという戦勝国創作の神話を再確認することによって、ドイツ国民の無罪を宣言しました。
    今回、安倍首相が宣言したことはワイツゼッカー大統領が宣言したことと同じ点と異なる点があります。
    同じ点とは、両国民とも過去の事実を理由に将来に渡って責められる謂われはない、と宣言したことです。
    異なる点とは、ドイツが、ヒットラー等の罪を明示することによって他の一般国民の無罪を主張しているのに対して、日本は、罪人を明示していないことです。
    そのかわり、日本の戦争行為によって結果的に悲惨な境遇におかれた国もあったかもしれないが、西欧帝国主義によって植民地化されてきた国々に独立のチャンスを齎した面もあるという微妙な表現で間接的に無罪を主張していることです。
    いずれも両国夫々が置かれた立場と国民感情を踏まえたぎりぎりの主張であり、政治の場ではこれ以上踏み込める状況ではないと思います。
    しかし、日本の主張のほうがドイツの主張より虚構性がない点で将来に禍根を残さずに済んだと言えるでしょう。
    日・独・仏とも戦時中世代には釈然としなくてもそれが敗戦というものだと認識すべきかも知れません。
    何よりも重要なことは将来世代に付けを回さないことです。

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