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2015年6月13日土曜日

憲法学者3名が集団的自衛権の行使容認を違憲だと指摘・・それがどうした!

そもそもConstitution の意味は、ルールではなく、構造のことですから、それに憲法という訳語を当てたことが大間違いの元で、国体と訳すべきだったのです。
大日本帝国憲法の制定に当たって十七条憲法の権威を借りざるを得なかったのでしょう。
したがって、憲法と言うのは、法律ではなく統治原則ですから、法学者や裁判所に権威があるわけではありません。

仮に憲法学というものが必要だとしても、法学科ではなく政治学科で国体論として扱うべきものだと思います。
そのことは、お三方とも薄々承知されているようですが、依然として法学科にしがみついているのは見苦しいと言わざるを得ません。
長谷部恭男早大教授については、氏が東大に在籍中の2013年10月24日に日経 『経済教室』 に寄稿した現行憲法擁護論を真っ向から批判したことがあります。
東大教授の憲法論・・これぞ詭弁の典型!
私は昔(1960頃)から日本の憲法学者というのは学者ではなく、日本国憲法原理主義という一種の新興宗教の宣教師だと思ってきました。

因みに私の専攻は経済学でしたが、クラスメートの大半は法学部に進みましたから、そちらについても多少の常識は持ち合わせています。
http://50yearsagotoday.blogspot.jp/2012/04/1962225.html

3 件のコメント:

  1. 実際に事に臨んだらどうするかは、佐藤正久氏のサマワ駐留時の覚悟がどうだったか知っておられるなら納得されるでしょう。
    http://plaza.rakuten.co.jp/kurukku2004/diary/200708170000/
    ポジティブリストが規制緩和ではなく、規制強化の隠れ蓑だと言うことは、プロでなくてもまともなサラリーマン(管理職経験者)なら誰でも承知しています。それでも意味があるのは、日本の姿勢を欧米諸国にアピールするアリバイ工作としての価値があるからです。要するに、最後に一項、その他これに準ずる脅威、という趣旨のどうとでも執れる抜け道を付け加えておけばよいのです。
    敵は本能寺にあり、死活的に重要なのは、中韓相手のドンパチではなく、欧米支配層との心理戦です。

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  2. 憲法学者を過大評価する奇風!
    http://byoshonikki.blogspot.jp/2015/07/blog-post_63.html

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  3. 要するに目覚めない人たちに付き合わなければ良いのです。
    いざとなったとき、そういう人たちに限って憲法などどうでも良いから早く何とかしろなどと喚くものです。
    緊急事態法など無くても超法規的措置は常に可能だし、実績もあります。
    福田赳夫と今上天皇の憲法違反です。
    必要なことは、合憲かどうかなどではなく、明日にでもいざとなったとき、首相の号令一下、反日分子数万人を拘束または殺処分し、第一列島線に数千個の無線誘導機雷をばら撒き、中朝目掛けて数千発の誘導ミサイルを発射できる実戦配備をしておくことです。これらは既に着々ととぼけた名目でカモフラージュしながら進められているようですが、準備完了する前にいざとなったときは、在日米軍が即応してくれることになっているはずです。トランプ大統領が横田基地で演説した際、自衛隊員も一緒に聞いていたことを日本のメディアは報道しませんでしたが、横田基地は既に日本軍との共同運用が始まっていると思います。日本がアメリカの属国から真の同盟国になったということはそういうことです。それはトランプ率いる軍人政権が偽善的国際主義勢力を国務省やホワイトハウスから駆逐しつつあることでもありますから、若し安倍さんが非常事態宣言を発令して、事実上のクーデターを決行しても非難するどころか歓迎するでしょう。
    必要なことは、"民主主義的" 手続きではなく、いざと言う事態が起こる(起こったことにする?)ことです。
    国会でやっている猿芝居は、米国と日本の偽善的国際主義分子がのさばっているうちは続くでしょうが今や殆んど無力です。

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