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2013年3月22日金曜日

今年も同窓会出席を断念・・後遺症の伏兵、鬱病

先週の金曜日には、中学の同窓会(桐生市立西中学校昭和30年卒同窓会東京分会)の案内メールに欠席の返信を出したばかりだが、今日は、その2日前に予定されている大学の同窓会(1960年入学文1-6組)の案内メールにも最終的に欠席の返事を出した。 中学の方はこれで4年連続、大学の方は、3年連続の欠席となる。 思えば、3年前(2010年4月)、妻と一緒に泊りがけとはいえ良くも大学の同窓会に顔を出す気になったものだ。 それだけ回復の期待と実感が強かったのか、それとも死期の切迫感が強かったのか、恐らくその両方だろう。

ここ数ヶ月、体力は確実に回復してきている(注)のに、それに反比例するかのように気力が衰えてきているのが不思議と言えば不思議である。 しかし、これが後遺症の最後のかつ最も始末の悪い鬱病のなせる業だとすれば、焦らずに(!?)何年でも持久戦の心算で耐えるしかなかろう。
しかし、たえず鬱の通奏低音に曝されながら、途切れ途切れに聞こえる懐かしき調べを繋ぎながら生き続ける綱渡りがいつまで続けられるか甚だ心許ない。 そうこうするうちにも級友達が、一人、また一人と去って逝く。

3年前、ゼミの友人達が茅ヶ崎の我が家に見舞いに来てくれたとき、嘗て数年間、脳梗塞の後遺症で鬱病に苦しんだ小田君が、「関口、お前、鬱病には、ならないのか、あれは苦しいぞ・・とにかく死にたくなるんだ・・」 と言っていたのはこのことかと骨身に染みて分かった気がする。
もし彼からそのことを聞いていなかったら、果たしてこうして耐え続ける覚悟が出来たかどうか・・。 持つべきものは友人だとつくづく思うこの頃である。

(注): 体重を例に採ると、運動能力は別として、発症前54キロ→手術直後40キロ台前半?→3年後48キロ→現在50キロ と回復(?)した。 娘の言によれば、ICUで植物状態だったときの私は、まるでアウシュビッツ(のユダヤ人のよう)だったそうである。 個室に移されて意識が回復した頃も、妻と交代で寝ずの看病を続けながら"お父さんにはお尻がない!"と言っていたことを思えば良くぞここまで回復したと言うべきか。 小田君が、3年前に私の回復振りを見て"驚異的だ"と評した所以である。

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