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2013年12月29日日曜日

イスラエルに関する10の嘘・・ここにも捏造国家があった?

こう言う人を本当のジャーナリストと言うのでしょう。
その勇気に敬服します。
今の日本には一人も見当たりませんね。 

彼の言っていることは全て本当です。 恐らく日本の記者や政治家は恐ろしくて知っていても言えないのでしょう。 日本の政治家だけではありません。オバマ大統領といえども本当のことを言ったが最後、生きてはいられないでしょう。 かつて、J.F.ケネディ兄弟が殺されたのも、J.レノンやM.ジャクソンが殺されたのも、彼らが本当のことを公言し始めたからです。 安倍さんは、そのことを知った上で命を賭けていますが、日本のメディアは、自己保身に走り、彼を守ろうとしません。 世界は、その位、非情な人々によって支配されているのだということを信じようとしないのは、団塊の世代の能天気な人達だけです。


関連サイト
世界は狂人によって支配されている・・ジョン・レノン
911テロ_ロックフェラーの予告(アーロンルッソ監督)

2013年12月27日金曜日

安倍晋三首相 靖國神社本殿及び鎮霊社公式参拝・・偏向報道の好例

安倍さんの靖国神社および鎮霊社参拝に関する報道でカットされているところを見れば、マスコミの偏向振りが良く分かる。



鎮霊社とは、靖国神社に祀られていない、全ての戦場に倒れた人々、日­本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて全ての戦場に倒れた人々の慰霊のための­お社です。

ここを同時に参拝したことを報告しているにも関わらず、そのことに全く触れないという姑息な印象操作を行う・・・これが偏向マスコミの常套手段です。

予想通りの安倍叩き・・一番熱心なのは日本のマスコミ!

日経などは、昨日の夕刊トップで中韓の反発必死、米国の反応も懸念されると謳って、彼らの非難を催促し、今朝の朝刊では、やったー!とばかりに彼らのお先棒を担いだ安倍批判を書き立てている。

他紙はとっていないので知らないが、恐らく安倍擁護の記事は皆無だろう。
これが、米中(+韓)とその走狗と化した我国マスコミの日本封じ込め作戦の実体である。
国際社会の批判も必至というが、この手の常套句の後に、具体的国名が挙げられたためしがない。東南アジア各国や、インド、アラブ、アフリカ、中東欧、シルクロード各国など世界の大半の国々が何と言っているか一切報道しないが、直接聞いてみれば、安倍批判など何処からも聞こえてこないはずだ。ロシアですら恐らく何も言わないだろう。

アメリカの本音は常に日本を永久に隷属させておくか、日中韓を争わせて共倒れを誘うことであるから、それはそれで筋が通っているし、中国もアメリカの出方を気にしながらも日本を華夷秩序の末端国として隷属させたいのだから、これも尤もな反応である。

キャロライン・ケネディは、米国の日本離れをカモフラージュするための "友好親善大使" だと思っていたが、案の定、日本政府の事前通告に対して無回答のまま、本国政府へスルーしたと言う。有能な大使としては、蓋し、当然のことである。

韓国(≒朝鮮)に到ってはあわよくば漁夫の利を得ようと画策しているだけだから、これも油断は出来ないがまともに相手にするに国ではない。

幾日か前の日経書評欄(永遠のゼロ??)だったか、戦前のきな臭い雰囲気に似てきたというような記述があったが、あの頃に似てきたのは、むしろ開戦必至と煽り立てた新聞論調のほうである。
当時も陸海軍のトップは、新聞が煽動する世論に踊らされた青年将校と称する野心家達を抑えるのに苦労したというのが実体であった。

普段、伝統文化の重要性を訴えながら、首相の靖国参拝が日本人としての伝統的心情から出ているもので、A級戦犯などとは何の関係もないことを一面全紙面を使って説明すべきなのに、日本文化を理解しない国の疑問に答えるどころか、その揚げ足取りの尻馬に乗って安部批判をエスカレートさせる一方のマスコミこそ、"国際摩擦"の元凶である。

そもそも、賊軍の大将であった西郷隆盛すら合祀されているという事実を知っている日本人がいったい何人いるだろうか。

理解されないから、説明しないで迎合するというのは、世界中の真の有識者を馬鹿にした話で、返って来るのは、落胆と軽蔑だけである。せめて、ドナルド・キーンとのインタビュー記事くらい載せて然るべきだ。

もっとも、敗戦国なんだから、永久に戦勝国のいうこと(例えばニュルンベルグ裁判や東京裁判)に従うべきだ、という理屈もありうる。
だだし、そうなると、気概ある敗戦国が何百年掛けても報復戦争に勝とうとするのを諦めろとは言えなくなる。その結末はジェノサイドしか有りえない!

ジェノサイドに甘んずるか、隷属に甘んずるかの2者択一で1億人のコンセンサスが得られるとは思えない。

そうそう、もう一つの選択肢を忘れていた。
嘗てのユダヤ人のように、少数のエリートと大多数の被差別難民として国家のない流浪の民の道を歩むことである。 しかし、その場合、70億人が犇めきあう苛烈な国際社会の中で、嘗ての日本人として生き残れるのは1億人のうち精々数百万人が好いところだろう。

これが敗戦国が独立国家として存続することの真の難しさである。
当面(何百年?)は、臥薪嘗胆を続けるしかあるまい。

2013年12月25日水曜日

安保闘争論に対する違和感・・戦後民主主義なるものの正体!

今日の日経夕刊文化欄に、今年の収穫と題していくつかの催しが取り上げられている。 その一つに関する記事のなかに"70年安保闘争の挫折感"という文言があった。 私は、この"安保闘争の挫折"という言葉に当時の実態を知らない物書きや観念的革命論者の自己陶酔の臭いを感じて不快になった。

 私が体験したのは60年安保闘争だったが、実態は極く小数のコミンテルン工作員とそのシンパによる空想的革命運動だったに過ぎない。それが数10万の学生を動員できたのは、単に彼らの企画したデモというイベント以外に高揚感を味わう機会がなかったからで、決して彼らの説く反体制主義に共鳴したからではない。 今日で言えば、興行主に踊らされて野外コンサートに動員される数10万のミーハー的聴衆と何ら変わりがない。

私自身3,4回デモに参加したことがあるが、政治思想とは無縁に近いお祭り騒ぎだった。クラスメートの一人が国会前で逮捕され、数日間拘留されたときなどは、安保に対する賛否とは無関係に仲良く代々木駅前で差し入れのための募金活動をやったものだ。ときには学生服の私たちを見て真顔で激励してくれる女性がいたりして気が咎めて仕方なかった。 

後で、出所してきた本人の話では、寮の部屋の名前が社会主義的だというだけの理由で、急進的革命主義者に分類されていたらしいが、実際の本人は全くのノンポリで寮の部屋の名前など気にしたことはなかったと言うのだから恐れ入る。しかも、警官や他の入所者(軽犯罪者?)からは、一目置かれて特別待遇だったと言うに至っては、岸を倒せ!などと無責任なシュプレッヒコールで声を張り上げていたのが申し訳ないというものだ。

樺美智子の死などは、悲劇に祭り上げられているが、当時のクラスで同情論など聞いたこともなかった。そもそも女の子がわざわざそんな危ないところに出ていくほうが非常識だというのが、世間一般の反応だった。 
エヴェレスト征服(国会占拠)を目指すなら、それなりの準備と覚悟が必要だということくらい、三浦雄一郎でなくても分かる。 他の参加者も似たりよったりで、駒場のクラスの雰囲気も合ハイに出かけるときとさして変わらなかった。

それが、新聞記事やTVニュースになると、いかにも国家の一大事、あるいは、若者の英雄的壮挙であるかのごとくに報道され、さらに、時が経つにつれ、諸々の書籍や論文で、歴史の転機だとか、挫折だとか大げさな表現が定着してしまう。 まさに "見てきたような嘘を言い" である。

以上は60年安保闘争の話であるが、70年安保は、60年安保の縮小版で、革命主義者が暴走し、一般学生が離反して運動の正体が鮮明になっただけのことだ。
それは、全共闘、連合赤軍、浅間山荘、日航機ハイジャックと北朝鮮への亡命といった一連の経過を見れば議論の余地がない。

いずれにしても、一部の確信犯達の活動を恰も国民の総意であるかのごとく喧伝し、反政府の世論作りに狂奔するマスコミや知識人と称する人々が、いかにも大事件であるかのごとく有ること無いこと言い続けるのは、要するに彼らがこれら革命主義者の一味であるか、それを種に高給を貪っている共犯者のどちらかだからに違いない。

同じ台詞を繰り返す藤末健三議員・・「閉ざされた言語空間」の住人がここにもいた!

民主党質問者藤末健三議員の某国大統領並みの無恥(無知?)で空疎な言葉遊びは、まさに駄々っ子としか言いようがない。安倍さんの忍耐力と包容力も大したものだ。 これなら問題小中高校の校長になっても務まるだろう。

それとも若しかしたら質問者の真意は、安倍さんを問い詰めることではなく、愚かな人々を納得させるために自ら馬鹿を演ずるところにあるのかも知れない。
"さくら" 役を買って出ているのだと思って見れば、野党議員もそれなりに建設的な演技をしているではないか!

2013年12月23日月曜日

結婚式に相応しくない歌・・マルティーニ「愛の喜び」

60年代に記憶が退行したせいか、頻りに当時聴いた歌を思い出す。マルティーニの愛の喜びもその一つだ。

61年7月に級友の東君から、彼の姉が九段会館で渡欧記念リサイタルをやるので暇だったら来ないかと誘われて聴きに行ったことがある。立錐の余地もない満席だったこと、怖い先生方受けのする難しい歌が多かったこと、細っそりした美人だったというくらいの印象しかないが、アンコールで歌われたのがこの曲だということだけはよく覚えている。

当時、世界名歌集で楽譜を見て口ずさんでいたメロディーと合っていたので、義務教育レベルの読譜力でもまんざら捨てたものではないなと妙に安心したものである。東敦子さんの歌ったものをYouTubeで探したが、残念ながら見つからなかった。他の歌手のものは山ほどあった。

Elisabeth Schwarzkopf
http://www.youtube.com/watch?v=IjBNp07_qok

Kathleen Battle
http://www.youtube.com/watch?v=g7mpEatLGks

Saori Nakazawa
http://www.youtube.com/watch?v=OAk2p8zdC8M

Plaisir d'Amour Dresden (Andre Rieu Tour)
http://www.youtube.com/watch?v=WLYgXm8s3p4

この曲が何故、結婚式に相応しくないのか、歌詞を読んでみればわかる。

・・愛の喜びは はかなくも消えて
愛の苦しみ 心深く残る
あなたは 私の思い見捨て
新たな愛に 身をゆだねた・・
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
J'ai tout quitté pour l'ingrate Sylvie.
Elle me quitte et prend un autre amant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.
Tant que cette eau coulera doucement
Vers ce ruisseau qui borde la prairie,
Je t'aimerai, me répétait Sylvie,
L'eau coule encore, elle a changé pourtant.
Plaisir d'amour ne dure qu'un moment,
Chagrin d'amour dure toute la vie.

2013年12月16日月曜日

心に残る歌・・ヒデとロザンナ「愛情物語」

ヒデとロザンナの歌の中で、というより当時聴いた全ての歌の中で一番心に残る歌でした。これまでどうしてもこの歌が見つからなかったので、私の記憶違いかと諦めかけていましたが、えむんこえむこさんのお蔭で半世紀ぶりにやっとめぐり合えました。

http://youtu.be/ZePM3sX3Yfs

原歌詞はここにありました。

別れたあなたと 三年たって
街の小さなカフェで ばったり逢った
涙をこらえて あの時去った
こんな気持なんか あなた知らない
どうしてこんなに 胸がときめくの
忘れたはずの 恋人なのに

愛したあなたと 短いけれど
想い出にふれあって 時が流れた
涙をこらえて あの時去った
こんな気持なんか あなた知らない
あの頃二人 若すぎたのか
心とからだ しばりあうには

さらば、60年代・・はしだのりひことシューベルツ「風」

20代後半、丸の内でSEとして徹夜しながらシステム開発や食べ歩きを楽しんでいた頃だったと思います。徹夜明けで出かけた、信州上田から野尻湖、妙高高原の一人旅を思い出しました。

先月、当時の相棒、大嶋誓一君が、この4月に他界したことを知りました。
3月に、竹馬の友、阿部佳文君が逝ってしまったときもそうですが、何だか自分だけが取り残されているような気持ちが募ってきました。



デビュー当時のシューベルツはこうでした。

歌詞は、コメントの中から見つけました。

人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとを振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人はだれも 人生につまずいて
人はだれも 夢破れ 振りかえる

プラタナスの 枯葉舞う冬の道で
プラタナスの 散る音に振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も 恋をした切なさに
人は誰も 耐え切れず振りかえる

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ

振りかえらず ただ一人一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで歩くんだ

何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ


2013年12月15日日曜日

日本が国家として生き残る最後の機会・・障害は、特定秘密保護法に対するアレルギー

マスコミやその報ずる世論による特定秘密保護法悪玉論が喧しい。
本来ならば、機密保護法がないことを恐ろしがって然るべきだと思うのは私だけだろうか。
年寄りが次の世代の議論に口を出すのは野暮だと思うが、全会一致は無効というのが古代ギリシャ以来、民主主義の鉄則なので、敢えて一言・・・。

企業機密のない企業経営が成り立たないのと同じように、国家機密のない国家の自立がありえないのは自明で、機密保護法のない国は、今の世界に日本しかないと言うことだけは承知していた方が良い。

自国政府の公正と信義は、必ずしも他国政府の公正と信義と同じとは限らない。 それを押し通せるのは、覇権国家だけである。 安保理常任理事国が未だに覇権争いをしている所以であり、最近は、イランやインドも参戦して来たようだ。

日本のマスコミと教育界では、国家対国家の議論をタブーにして、国家対市民の関係のみに、人々の関心を閉じ込めようとしているが、そういう風土もまた日本だけである。
ハーバードにも、オックスフォードにも、外交、防衛等の講座がそろっているのに、日本では最近になってやっと東大法学部に安全保障という遠慮がちの名称の講座が出来たばかりだと担当教授が嘆いている。

マスコミがこぞって非難する中で、敢えて実名で反論する無名の個人は、私くらいのものだろうが、もし、私が有名人だったら今頃脅迫メールが殺到しているだろう。
twitter,  facebook etc. が、米国を始めとする、各国諜報機関の国際世論監視・操作システムとして活用(盗用?)されているというのは国際常識である。

2013年12月11日水曜日

社長と取締約の関係・・60年以上続いている公然の虚構!

商法で定める取締役とは会社の持ち主であり、その最も重要な仕事は、社長の任免であり、査定である。
戦後、連合軍の日本改造(実体は弱体化)政策の一環として行われた財閥解体と公職追放によって、主要な持ち主が一掃された後、あらゆる分野で一雇われ人に過ぎない部長レベルの人物が商法上の社員でもないのに社長に成り上がり、商法と連合軍の指示には形だけ従って、会社を私物化し、他の従業員と世間を騙し続けてきた。

このことは、上場会社の役員、マスコミ、学者やその他の評論家と称する人々の間では、公然の秘密というより、常識である。

それが何故かくも長期にわたって不問に付されてきたかと言えば、そのことに異を唱えたが最後、企業社会から追放されるか、場合によっては抹殺されかねなかったからである。
また、そのことに気が付く頃には、役員候補の一人くらいにまで "出世" しており、準共犯者になってしまうからでもある。 現に私自身、富士通の部長になった後、何年か後に、同期や後輩の何人かが役員になるまで、本当のところは分からなかった。

さすがに、最近では "執行役員" などという名目で商法上の役員ではない(つまり、オーナーではなく使用人に過ぎない!)役員もどきの役職を作って、相変わらず世間を騙し、従業員には飴玉をしゃぶらせ続けているが、乗っ取りの張本人である社長たちは、いまだに "会社は、従業員(の中から選ばれた自分!)の物だ" と言い続けている。

もちろん、戦後の混乱を乗り切る過程では、実務に精通していた練達の従業員を登用する理由はあったし、それなりの成果も挙げたことは確かである。しかし、それと同時にノブレス・オブリージュが徐々に失われ、悪しき官僚主義が蔓延り続けてきたことも、また厳然たる事実である。

例を挙げればきりがないので、一つだけ例示しておく。後は、 読者自身が自分の周囲を見渡せばいくらでもおかしな事実に思い当たるだろう。

例: 役員報酬の怪!

大企業が不祥事を起こしたと糾弾された際、役員報酬を何割かカットしてお茶を濁すのが一般であるが、それがどの位の額なのかは一切、触れられていない。
普通の人たちは相当な金額なんだろうと想像するかもしれないが、有価証券報告書に記載されている役員報酬総額を役員の数で割ってみれば、それが雀の涙ほどだと言うことがわかる。
世間の人々、とくに大半のサラリーマンは、役員になれば格段に給料が上がると思っている。
それは、事実でもあり、誤解でもある。要するに誤魔化されているのだ。

今の日本では、商法が、完全に形骸化し、役員(取締役)とは、従業員の長たる社長が任命するお小姓組に過ぎない。 社長の任免や査定はおろか、取締役会で社長に異を唱えるなど、決死の覚悟でないかぎり出来るわけがない。

したがって、役員報酬とはお小姓の忠誠心に対するご褒美であり、象徴的なものであるから金額が大きい必要はなく、僅かの差で一喜一憂させることができれば十分だということになる。
また、少ない報酬に甘んじているように見せる方が株主や世間からの非難もかわし易い。

では、彼らの高額所得は何処から来るのかと言うと、専務何々担当とか、常務何々本部長とかいう名の従業員としての給料である。
役員に取り立てられた従業員の給料が、その従業員ランク(平、常務、専務、副社長、社長等)によって一般雇用者とは隔絶していることは誰でも知っているが、それは商法で規定され、有価証券報告書に記載義務のある役員報酬とは別物である。

したがって、社長が引責辞任するときなど、代表取締役としての役員報酬は返上しても、従業員としての社長給料や退職金は満額受取って当然と言うことになる。
また、社長以下各取締役の所得の大半を占めている給料部分の公開を迫られても従業員の給料を公開することはプライバシーの侵害に当るという屁理屈で拒否できる仕掛けになっている。

重責を担っていると言う理由で高額の報酬を受け取りながら、その大部分は、しがない従業員としての給料だと言いはる無責任集団が我国の中枢に跋扈するようになって久しい。

以上が従業員による会社の私物化とノブレス・オブリージュの欠如の一例でもあり、淵源でもある。

2013年12月4日水曜日

日経"寸評"欄の特定秘密保護法案反対論・・あんたには言われたくない!

今朝の日経"寸評"欄に、特定秘密保護法案の "拙速審議" と可決後に懸念される "言論の自由弾圧" と "専制政治" への "懸念" が縷々述べられている。

これを読んで、反射的に浮んだのが上記 "あんたには言われたくない" という言葉であった。

寸評子は、"拙速審議" と言われるが、自分達が過去数十年に渡って "言論の自由" なる葵の印籠を振りかざして、我国を "閉ざされた言語空間" の中に幽閉し、"国家・国民の安全に対する懸念" を無視し続けてきたことには一切触れていない。

また、"言論の自由弾圧" と "専制政治" への "懸念" と言いながら、相変わらず、無政府状態の国々や米国を始めとする "似非民主主義先進国" における被支配階層の悲惨な現状に目を瞑っているのは何故だろう。

もし、専制政治が国民を不幸にするというのが事実なら、事実上の国王専制国家であるサウジアラビア国民は暴動を起こして然るべきであるし、その気力すら奪われているからだと強弁するなら、世界世論の先頭に立って反王政キャンペーンを張って然るべきであろう。

寸評子が懸念しているのは、自分達の "無責任な言論による専制政治" が責任を問われることではないか。

絶対王政時代の王権にも等しい自らの権力を恣意的に行使しながら、"政府・与党の悪意" に対する "懸念" を喧伝し続けるマスコミに対して多くの国民はそう感じているに違いない。

発言には常に責任が伴う。まして国家・国民の命運に関わる発言であれば、時には命も賭ける覚悟が求められる。 明治維新以来、文士・農民と言えどもそうしてきたし、今でも、内外の責任ある発言をしている人々はそうしている。

寸評子には、"先ず魁より始めよ" という言葉を進呈したい。

2013年11月14日木曜日

日経"寸評"欄の差別社会化懸念・・何を今更

今日の日経朝刊”寸評”欄に、クリスチーヌ・トビラ仏法相(嘗ての仏植民地ギアナ生まれの黒人)が、10月下旬に仏西部の都市アンジェで、集まった子供達から「猿」扱いされてからかわれ、それに対して何処からも警告の声が上がらなかったことが憂慮すべき風潮として紹介されていた。

寸評子の懸念は、単に人種差別に限らず、あらゆる分野で "PC(Politically Correct)" にうんざりし始めた社会が、嘗てのような差別の正当化に向かいつつあるのではないかと言うところにあるらしい。 蓋し尤もな懸念ではある。

ただし、こと人種差別に関する限り、これは今に始まったことではなく、西欧諸国がアフリカから、南北アメリカ、中東、インド、東南アジア、東アジアの全域を支配し始めた14~15世紀以来、一貫して変わらない白人の深層心理であり、対社会主義戦争の陰に隠れていた本音が徐々に剥き出しになってきただけのことである。

戦後生まれの世代の大半は、無菌状態の温室(家主は米国)で育ってきたので、この程度のことで憂慮したりするかも知れないが、戦前・戦後、彼らが日本人(を含む非白人)をどう見てきたかを知っている私(達?)としては、何を今更と言うしかない。 どうも寸評子は、"PC(Politically Correct)" に代表される "閉ざされた言語空間" の中で、空想的理想社会を夢見て居たいらしい。

参考までに、京都大学会田雄二教授が、学徒動員で出陣し、ビルマで英軍の捕虜になった時の体験を書いた、「アーロン収容所」の一節を紹介しておく。

「はじめてイギリス兵に接したころ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるときに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである」

「私はそういうイギリス兵の態度にはげしい抵抗を感じたが、兵隊の中には極度に反発を感じるものと、まったく平気なものとの二つがあったようである。もっとも私自身はそのうちあまり気にならなくなった。だがおそろしいことに、そのときはビルマ人やインド人と同じように、イギリス人はなにか別種の、特別の支配者であるような気分の支配する世界にとけこんでいたのである。そうなってから腹が立つのは、そういう気分になっている自分に気が付いたときだけだったように思われる」

2013年11月13日水曜日

日経"寸評"欄の道徳教育論・・全く同感!

たいてい何かしら気に入らない意図を感じるのだが、今回は全く同感である。
道徳教育が大切なのは論を待たないが、教科化には無理があるという論旨に同感する理由は、私自身の体験にある。

中学生の頃だったろうか、我が家では夕食後、(続く)

(再開 2013.12.4)
父と2歳上の兄、それと私の3人で古今東西の故事について話し合った時期がある。
殆んど忘れてしまったが、ある日、父が小学校時代、祖父と問答したときの話だけは、はっきり覚えている。
父 「先生が、西郷隆盛の "人を相手にせず、天を相手にせよ" という考えは、間違っている。世の中は人間関係で成り立っているのだから、・・と言われたが、自分は西郷さんの言う方が正しいと思う。お父さんはどう思うか・・・」
祖父 「西郷さんの方が正しい。 しかし、今お前にその理由を話してもわからないだろうから説明しない。 お前が大きくなった時、分かる人間になればわかるだろうし、そうでなければ一生わからないだろう。」

要するに、祖父が言いたかったのは、人の器と人生観は教えられないと言うことだったのだろう。
父は、「今なら私にも判るが、そのときは判らなかった。 お前達がどう思うかは、お前達次第だ・・」
と言って、その話は終ったと思う。

74歳になった今の私には、父の言ったことが、納得できる。 しかし、祖父がその先、どのくらい深い意味でそう言ったのかは推測の域を出ない。

以上が、寸評子の論旨 "道徳教育が大切なのは論を待たないが、教科化には無理がある" に同感する所以である。

強いて難をあげれば、だからこうすべきだという主張がはっきりしないことであるが・・・。
そこで、寸評子に代わって私自身の意見を述べておきたい。
(続く)

2013年11月5日火曜日

昭和天皇が靖国神社の親拝をやめた理由

敗戦国の総責任者として、止むを得ず当然のことをしただけで、東条元首相以下に対して不快感を持っていたからだなどというのは、何も知らない間抜けな人々の誤解か、知っていながら知らない振りをしている人たちの曲解です。 そもそも昭和天皇は、日本民族の存続のために、"耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ" 決意を生涯貫いた人ですから、その辺の評論家のように一々自己弁護などしなかっただけです。

私が現役時代のWEB講義碌に、
昭和天皇(裕仁)の誕生日は4月29日、今上天皇(明仁)の誕生日は12月23日である。
( 東京裁判によって日本人の自尊心を徹底的に粉砕しようと目論んだ米国にとって、上記は決定的な意味を持つ情報=インテリジェンスであった。米国は、この インテリジェンス に基づき、いわゆるA級戦犯28人を4月29日に起訴し、東条英機以下7名を12月23日に処刑した!)

と書いた所以である。

そもそも、A級と言う訳語からして誤解惹起的で正しくはA類と訳すべきです。 A、B、C というのは、戦勝国が勝手に定義した容疑の分類であって、等級(グレード)ではありません。 特に、A類(class-A war criminal )というのは、国際法にも無く、ニュルンベルクの対独軍事法廷でナチス(国家社会主義ドイツ労働者党:Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)幹部を死刑にするために無理やり作られた概念です。 もし、日本が勝っていたら、ルーズベルトやチャーチル、スターリン、蒋介石をA級戦犯として、ドイツ戦犯の仇をとる、というギャング顔負けの殺し合いになっていたかも知れません。 そのくらい次元の低い、しかし、狡猾極まりない弱肉強食の論理です。

2013年10月25日金曜日

東大教授の憲法論・・これぞ詭弁の典型!

昨日の日経朝刊〝経済教室"で長谷部恭男東大教授が"集団的自衛権の論点㊦"と題して現行憲法擁護論を展開されている。

これを敢えて詭弁と難ずるからにはそれなりの理由を示さなければならない。一つ一つの文言を辿っていく限り、氏の導出する結論は否定しがたいように見えるが、集団的自衛権が議論されざるを得ない現在の日本が直面している困難に対して何も答えていない。明らかに正論を装った世論誘導だと言わざるを得ない。

このすり替えないし飛躍を的確かつ簡潔に示すのはそう簡単ではない。少なくとも文系的読解では、天下の東大法学部教授の論理の破綻を指摘するのは不可能に思える。しかし、理系的視点で全体の構成を見て行くと鮮明に詭弁の詭弁たる所以を示すことが出来る。これは、NTT民営化に当って石川島播磨重工から送り込まれた真藤社長が抵抗勢力の詭弁を一蹴した時に使った発想である。

彼ら抵抗勢力の常套手段は、随所に暗黙の前提を忍び込ませることや尤もらしい論理の羅列で、課題の焦点をずらしたり、暈したりすることであるが、理系エンジニアの真藤社長から見れば、彼らの報告書が何ら解決すべき課題に答えていないことは明白だった。要するに彼らの報告書(設計図)では、組織(システム)は機能しないのである。

以下、上記の視点で、"集団的自衛権の論点㊦"が何らの意味も持たないどころか、システムを誤動作させかねないことを示す。

(つづく・・・鬱のサイクルに入ったらしく、気が乗らないので一旦中断する。 結論から言えば、客船の設計図が求められて居るのに、ロケットの設計が必要だというような詭弁を弄していると言いたいのだが、ピッタリの例を探すのと、氏の論説との対応を的確に対比させる手間を考えると、気が進まない。もう少し気力・体力が上向きになるまで待ちたい。 一応攻め口は示した心算なので、お急ぎの方はご自分で試みてください)

2013年10月22日火曜日

発端は朝日新聞記者の捏造記事!

モンスターペアレントに対する公立学校教員の謝罪劇を見ているようで、何とも次元の低い鬱陶しい話です。 全ての元凶は、一人の卑怯卑劣な日本人(朝日新聞記者)の捏造記­事にあったとは! それにしても、こんな言いがかりを付けてくる某国の大統領にも呆れますが、それに対して、碌に調べもせずいきなり謝ってしまった­我国総理のだらしなさには、空いた口が塞がりません。



追記: 2011.11.16
中韓が大東亜戦争を全否定しなければならないのは、それを肯定したら日本がアジアの解放者であったことを認めることになり、中国が東亜の盟主であるとする華夷秩序史観を放棄することになるからだという卓見を見つけました。
なるほど、それなら彼らが滅亡するまで主張を変えない筈です。
下記のブログの 「(私のコメント)の節」 にあります。
http://www.asyura2.com/0510/bd42/msg/194.html

2013年10月18日金曜日

Canon in D (Pachelbel)  - パッヘルベルのカノン -

この曲を聞いていると、病苦や世相への苛立ちが何処かへ飛んでいってしまいます。



15年ほど前のこと、夕方、銀座通りから有楽町駅へ向かう途中の路上でスペイン人の若い女性がフルートでこの曲を奏でていたのを聞いて以来、耳に残って消えません。ニューヨークでオーケストラをバックに録音したと言うCDを今でも持っています。

追記: MARTA AYM という人でした。
「私に音楽を学ばせてくれた両親の愛に感謝します・・・」という手書きのポスターとニューヨークで自費製作したというCDアルバムを紹介していましたので、カノンが収録されているのを確認して一枚買うことにしました。確か1000円だったかなと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/torikera3/21484836.html

2013年10月14日月曜日

世界一の美技と気迫!・・宇佐美里香の空手「形」演武

世界空手道選手権「型」の部で優勝した宇佐美里香さんの演武



世界一にもなれないテニスやゴルフばかり報道しているマスコミの­真意を疑いたくなります。

単に無知だからだとは思えません。多分、武道≒暴力≒軍国主義≒侵略戦争 という占領軍による洗脳政策の協力者及び追随者達が、中学校教育での武道の必修化に危機感を募らせ、自分達の既­得権を維持するために最後の抵抗を試みているのでしょう。

その背後には、骨抜きにしたはずの日本人に骨が残っていたことを認め­たくない勢力があるということです。 むしろ警戒すべきは、文科省と日教組による武道の骨抜きです!

2013年10月11日金曜日

日経春秋欄の安倍晋三論・・メディアリテラシーその2

以前にも、2011年11月8日に日経春秋欄の石原莞爾論と題して、いわゆるメディアリテラシーを論じたことがある。要するに、新聞・テレビ等における報道や記事の文面からは直接読み取れない意図を読むことである。

前回の投稿は、TPPに事寄せて、黒船論を引き合いに出し、事のついでに、東京裁判の証人として欧米列強の植民地支配を痛烈に批判した石原莞爾の人格を貶めようとする底意を指摘したものであるが、今回は、五輪招致演説および水俣条約会議に寄せた挨拶文での安倍首相の言葉尻を捉えて、揚げ足取りではないと言いながら、その実、揚げ足取りとしか言いようのない人格批判に終始していることを指摘するものである。

まずは前回に習って、2013年10月11日(金)日経朝刊 春秋欄 の全文を転載すると・・・
(10.11・・疲れたので休憩)

(10.12・・再開)
「言葉尻だけ捉えるのはつまらないはなしです」。政治家の言葉をやり玉にあげるマスコミに、6年前に死去した作家の城山三郎がくぎを刺した。ただ「その人の本質を表すような言葉が出たときには、それはもう容赦なく批判すべきですね」(「『気骨』について」)
▼これから書く話は城山さんもわかってくれるだろう。安倍首相が水俣条約会議に寄せたメッセージで「水銀による被害と、その克服を経た我々だからこそ、世界から水銀の被害をなくすため先頭に立って力を尽くす責任がある」と述べた。これに水銀病患者の側から「被害は克服されていない」と反発が出ているという。
▼「原発の汚染水はコントロールされている」という五輪招致演説に重なる何ものかを感じとった人も多いのではないか。国際舞台で、外向けに、日本の実力を誇って胸を張る。見えを切る姿は頼もしくさえあるのだが、国内で現にいま苦しんでいる人々へのまなざしが感じられない。考えてみればどちらも同じ構図である。
▼五輪を東京で開く。世界を水銀の汚染、あらたな水俣病から守るために指導力を発揮する。どちらも大義ある話しだ。首相が国を引っ張るのも当然だろう。しかし、その公式発言に「コントロール」や「克服」が紛れ込む。二語に共通する何ものかは「言葉尻」なのか。いやどうしても「本質」と思えてならない。

以上が、2013年10月11日(金)日経朝刊 春秋欄の全文である。

この筆者も、さすがに安倍首相の論旨に隙を見つけることが出来なかったらしい。そこで、例によって論点をすりかえ、安倍首相の人格に問題があるかのような揚げ足取りに終始せざるを得なかったようだ。
そもそも、上記の挨拶はもともと、諸外国に対して我国が積極的に努力してきたこと、これからも同様に全力を尽くして行こうとしていることを宣言したものであり、現に水俣病と格闘している研究者や破綻した福島第一原発の暴発を回避するために命をかけている人々への信頼を表明したものである。
水俣病患者の訴えが100%満たされ、福島第一原発の危険が100%克服されるなどということが有り得ないことは、世界中の識者の常識である。この筆者は、安倍首相が、命がけで使命を果たしている関係者の努力の成果が評価に値しないとでもいえば納得するのだろうか。
おそらくそうなったら、我国の信用は地に落ち、政府は転覆し、若者は落胆、絶望するだろう。
もっとも、それがこの筆者の真に望んでいることだとすれば、また、何をか謂わんやであるが。

最後に一言、福島第一原発の故吉田所長は、事故発生直後、冷却システムが致命傷を負い、回復不能であることを知った時から、命を捨てる覚悟を決め、生死を共にしてくれる部下を選んでいたという。と同時に政府や本社からなんと言ってこようと、海水の注入を止めるなと指示したそうだ。それは、もしそうしなかったら、チェルノブイリの数百倍、広島型原爆数百発に相当するエネルギーが解放され、もはや東北は愚か、東日本全域の放射能汚染は避けられず、無人の野に帰しかねないことを知っていたからだ。(月間「WILL」2013年8?月号インタビュー記事)
こういう英雄的な方々の献身によって、福島第一原発の廃炉は辛うじてコントロールされてきたし、今もなお、創意工夫と試行錯誤を繰りかえしながらコントロールされ続けているのだ。
世界中の専門家が感嘆と危惧の目を持ってその命がけの綱渡りを見守っている中で、安全地帯からそれに水を差すこの筆者の真意を疑わざるを得ない。

2013年8月25日日曜日

二人の知事・・生き永らえた泉守紀と殉職した島田叡

・・・大東亜戦争中、誠心誠意、職務に殉じた人たちと、一方、戦地では部下を見殺しにし、国内では同朋の苦闘を傍観していた卑怯者がいた・・・実例を紹介します。

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-809.html

以下は上記ブログの抜粋です。

・・・・・・・沖縄戦では、約十万人の沖縄県民の死者を出しました。

しかし、ひとつはっきりといえるのは、それだけの損失を出した原因のひとつに、沖縄県民の疎開(避難)を、人質に、自分だけが助かり、いい思いをしたいという卑劣漢がいた、ということは、忘れてはならない事実だと思います。

泉という前任の沖縄県知事が、故意に住民の避難を遅らせたために、沖縄には、多数の高齢者や婦女子が残り、さらに沖縄が離島を多く含むために、第三十六軍は、ただでさえ少ない戦力を、それぞれの島に分散する他なくなった。

加えて、沖縄本島を含め、それぞれの島の住民の避難誘導や食糧・水の手配、あるいは戦傷を負った民間人への手当て等、軍は、そのための要員を大量に割かなければならなくなった。
それら一連の諸問題は、泉守紀という小役人のボンクラが引き起こした問題です。

一方、後任の島田知事や第三十六軍の将兵は、そうしたボンクラのしでかした最悪の事態について、最後まで愚痴も文句もいわず、死力を尽くして戦い、散華された。

いまどきのマスコミ関係者、反戦平和主義を叫ぶ市民団体等は、非戦闘員が日米両軍の地上戦闘に巻き込まれた全責任を、日本軍(第三十二軍)のせいにしようとしています。

けれど、これは間違いです。
約十万人の沖縄県民を死に至らしめた全責任は、疎開を故意に遅らせた泉沖縄県知事にある。

泉沖縄県知事の問題を出すと都合が悪いのです。
なぜかというと、泉知事の問題を出すと、当然その後任の島田知事の話題が出る。

島田知事は、軍と連携を密にして、沖縄戦の最後の最後まで、県民の保護のために尽力された。そして島田知事と親交のあったのは、大田実海軍少将であり、牛島満陸軍中将であった。
そうなると、いきおい、彼らがいかに立派に最後まで戦ったのかという話になってしまう。
・・・・・
島田叡

島田の亡くなった最後の壕は、「轟の壕」です。最後の沖縄県庁という呼び名もあります。
昭和20(1945)年7月9日、島田の殉職の報に際して、安倍源基内務大臣は、行政史上初の内務大臣賞詞と顕功賞を贈りました。

「其ノ志、其ノ行動、真ニ官吏ノ亀鑑ト謂フベシ」

内務大臣が一知事に対して賞詞を授与することは、これが最初で最後の出来事です。
いまでも、高校野球の夏の沖縄県大会を制した高校には、「島田杯」が授与されています。

2013年8月22日木曜日

大東亜戦争生き残り世代の無策と卑怯者の跋扈

ここ1~2年、一気に世代交代が進み、健全な戦後1.5~2.0世代が存在感を増してきたように思います。それに反比例するかのように、反日勢力(日本人?)による過激な発言がエスカレートしていますが、大方の日本人や良識的な外国人にとっては、度を越しているという印象を与え、逆効果の反応が現れ始めたようです。

泉下の江藤淳も 閉ざされた言語空間 に風穴が開き始めたことを喜んでいるのではないでしょうか。この分なら100年を待たずに敗戦の後遺症から脱出できそうです。 さすがに、私のストレートな物言いには、はっきり賛同の意思を表明するのを憚って居られる方が大半のようですが、1~2年前には皆無だったのに比べれば世の中の空気も随分変わってきたと思います。組織に縛られない人たちが増えてきたことも影響しているかも知れません。

それにしても戦争世代の生き残りが次の世代への教育を放棄して、国家不要論者の偏向教育 を傍観してきたのは、情けないというより、憤りを覚えます。 私が直接知っている方で、生涯、一貫して正論を公にしてきた人は一人しか居ません。 新入社員時代の直属課長で後に社長となった山本卓眞さんです。 他にも立派な方を何人も知っていますが、皆さん、世の中の空気を懸念されたのか、一切、戦前の日本のおかれた立場や主張の正当性を話題にする人は居ませんでした。

義父の山本達司も大陸戦線で何度も死地を脱した経験の持ち主で、部下や大陸住民からの信望も厚かった(旧戦友の言)そうですが、私が結婚後20年以上経ったころ、2人だけの雑談の中で、私が何でも知っていることに驚いて、やっと気を許したか、ポツリと「・・日本が悪いことばかりやったわけではないよな・・」と呟いたのが唯一の発言でした。 皆さんのおじいさん達の中にも、そういう悔しい想いを抱きながら亡くなった方はたくさんいると思います。

黙して語らずというのは日本人の美徳だったし、嘗てのヨーロッパでもそうでしたが、今の世界はその価値感が通用しない野蛮な世界になってしまいました。必要最小限のことを簡潔・明瞭かつ信念を持って主張するリーダーを育てて行く必要があります。マスコミはその足を引っ張るのでなく支えるべきです。

TPP論争の百鬼夜行?

過保護は大ウソだった 日本の農業が衰退した本当の理由

週プレNEWS 8月19日(月)6時10分配信

この見出しは世論誘導の典型に思えます。一体この東大教授は誰の利益を守ろうとしているのでしょうか? 1945年の敗戦以来、一度も独立国であったことがない日本は、アメリカの国益に従順だった故に一見繁栄してきたように見えるだけでしょう。その米国の世論操作に全力を尽くさず、日本国内の特定利益集団の言い分ばかり聞いてきた付けが回ってきたと思えば、来るものが来たというだけのことで、大騒ぎするより、改めて敗戦隷属国の生き残り策を考えるべき時です。

とりあえず、対外政策は政府の時間稼ぎにまかせ、国内の兼業農家と称する特権的サラリーマン(補助金のねこばばを続けている高額所得者)への無駄金の垂れ流しをやめて、専業農家への所得保障にまわす方が先決です。だいたい今の日本に貧農などいないことをこの東大教授は知っているのでしょうか。名目上の農地を補助金つき不動産として保有ないし相続期待しているだけの非国民を放置したまま米国と戦えといっても説得力はゼロです。どうも東大教授には権威は有っても理屈だけの人が多いような気がします。農業のことなら北大教授の方が実態を良く知っていると思います。

2013年8月15日木曜日

【閉ざされた言語空間】・・江藤淳 畢生の警告

江藤淳の "閉ざされた言語空間" を初めて読んだのは20年くらい前だったと思いますが、目から鱗が落ちる思いでした。つい最近までマスコミはおろかネット上でも殆んど無視されてきましたが、此処1年くらいの間に急速に解説サイトが登場してきたので、ほっとしています。

初版 平成元年(1989) 文芸春秋社

これを読めば、米国政府および占領軍司令部が如何に日本人を蔑み、骨抜きにしようとしたか分かります。英国人は嘗て阿片で清朝中国人を骨抜きにしましたが、マッカーサー配下のGHQが巧妙な言論統制の下に実施した "war guilt information programは、戦後世代の深層心理に自虐史観を植えつけるという、より悪質かつ悪魔的なものでした。

ホロコースト史観で牙を抜かれたドイツと共に戦勝国が二度と両国の挑戦を許さないために打ち込んだ楔だと言ったほうが分かりやすいかも知れません。

(注 とくに許しがたいのは、占領軍に破格の高給で雇われ、同朋の血税(終戦処理費)を使って実施された "war guilt information program" に協力した 5,000人とも 10,000人とも言われる日本人が、誰一人として名乗り出ることなく、出版・報道および政界・学界・教育界を牛耳り続けてきたことです。
気骨のある戦中派が、すべて、謂われ無き"侵略的軍国主義者" の烙印を押され、発言を封じられている間に、彼らは、マスコミと初等・中等教育を乗っ取り、戦後育ちの世代を骨抜きにし、今なお自己保身と自己正当化のため自虐史観の固守・強化に狂奔しています。真の敵は、反日某国ではなく、彼らに協力し、焚きつけているこれら売国日本人(確信犯と無知な追随者)達です!

http://byoshonikki.blogspot.jp/2010/06/blog-post_29.html
http://byoshonikki.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
http://byoshonikki.blogspot.jp/2012/07/ww.html

http://d.hatena.ne.jp/skycommu/20100328/1269780588
http://meityo.blog44.fc2.com/blog-entry-70.html
http://raikougamatuei.blog.fc2.com/?no=26
http://d.hatena.ne.jp/mensch/20070324


2013年8月7日水曜日

客観的な良識ある知日外国人に代弁して貰おう!

多くの善良な(日教組etc.の洗脳教育によってゾンビ化した)日本人は、良識ある日本人の言うことは聴こうとしませんが、外国人(とくに英、米、仏3国!)の常識的な人たちの言うことには耳を傾けます。 当分の間、こういうまともな知日外国人が増えて日本人に替わって反論してくれるのに期待するのが一番の良策でしょう。

聞き飽きたレコード・・・"従軍慰安婦哀歌"

人道問題というのは民主主義国の議員にとって、事実関係やことの当否に関係なく、議決に賛成せざるを得ないタブーになっている。そんな決議をする国(米国、オランダ、・・・)の議員の無知と偏見を知る恰好のリトマス試験紙だと思えば腹も立たない。
しかし、この風潮を最大限に利用しているのが某国を筆頭とする反日国家群とそのエージェントであることに気付かないか、そのお先棒を担いでいる日本人が多すぎる。
この人がそのどちらであるかは知らないが、税金を使って国会審議を掻き回し、政府や首相の揚げ足取りで国益を損なうことに狂奔する姿は異様である。

2013年7月31日水曜日

旧桐生市立西中学校校舎見学会(H24-0311)

校舎そのものには、嘗てわたし達が学んだ頃の木造校舎の面影は、­全く残っていませんが、窓から見える外の木立に当時の景色を思い­起こしました。
旧制群馬県立桐生中学以来の伝統を受け継ぐ新制桐生市立西中学校­の廃校も時代の流れと前向きに捉え、新生桐生の新しい文化発信拠­点として蘇ることを期待します。

2013年7月1日月曜日

幼年期の思い出・・【渓谷】渡良瀬川・高津戸峡


昭和20年、6歳の時、この渓谷の終端、高津戸橋の近くに祖父母と一緒に疎開していました。川の流れは、あの頃と全く変わっていません。すんでのところで命拾いしたこともあります。あれから67年、夢のように過ぎました。

2013年6月11日火曜日

流行語大賞に推したい迷台詞・・『歴史を直視する』


戦後世代が洗脳された3大歴史歪曲。
最近は、米国民まで洗脳に巻き込もうとしている国がある。
こう言う国の言葉では、歴史歪曲や捏造のことを 「歴史を直視する」 というらしい。

中山議員の言っておられることは厳然たる事実です。




2013年5月7日火曜日

ホロコーストにも色々ある・・民族精神の抹殺と奴隷化

民族・国家の抹殺をホロコーストと言うなら、ヒットラーのやろうとしたことなど極めて控えめだったと言わざるを得ない。それも、戦勝国がそう言っているだけで実際にどの程度のことが行われたことか分かりはしない。そのことは、ソ連や中国共産党、さらに、西・英・蘭・仏・米を始めとする白人植民帝国が敗戦国や被支配国に対してやってきたことを見れば一目瞭然である。嘗ての、ギリシャ・ローマから元・清に到る敗戦民族支配は、男子壮丁の肉体的或は精神的抹殺と婦女子の奴隷化であった。近代西欧諸国による植民地支配の場合も似たりよったりである。例証を挙げれば限がないが、スペインによるインカ・アステカの虐殺と抹殺、英・蘭・仏によるアフリカやアジアの侵略と植民地奴隷化、アメリカによるハワイ王朝の抹殺と植民地化(注)や・フィリピンの植民地化と愚民政策など、吐き気を催すような事例に事欠かない。

原爆や焼夷弾による全国主要都市に対する無差別爆撃は数十万人の死傷者を出してはいるが、民族の生存にとって致命傷とはなりえなかった。しかし、かれらの企てていることは、まさに精神的ホロコーストであり、この方が余程恐ろしい。最近の南北朝鮮や中国による歴史歪曲と責任転嫁(南京大虐殺云々や従軍慰安婦連行云々)に到っては良くもぬけぬけと・・と言うしかない。こういう暴論・虚言がまかり通るのは、戦後世代の大半が彼らの仕組んだ 『閉ざされた言語空間 に安住し自縄自縛のタブーから抜け出せないでいるからである。



(注) 日本連合艦隊が真珠湾を攻撃した昭和16年12月8日の時点において、ハワイは米国の支配する自治領(実質的には植民地)でしかなく、しかも住民の過半は日系人だった。ハワイが米国の50番目の州として正式に合衆国に併合されたのは戦後14年経った1959年のことである。真珠湾は植民帝国を目指す米国の一軍事基地でしかなかった。現在にたとえれば、日本復帰前の嘉手納基地を自衛隊海空軍(或は中国・南北朝鮮連合軍!?)が急襲したようなものであった。
このような事実をすべて隠して、戦前の日本人を残酷無残極まりない軍国主義者だったと言いくるめることに成功したABCD各国の悪知恵の見事さには敬意を表するしかないが、その洗脳工作(WGIP)に協力し、超高給を貪ったあげく、その尻馬に乗って同胞を欺き、甘い汁を吸い続けることに痛みを感じない日本人が周囲にウヨウヨ居ると思うと生きた心地がしない。

このような、敗者の奴隷化(焚書坑儒)は日本の伝統にはない。
彼らの日本批判は殆んど自分達の弱肉強食文化の常識からの類推と捏造である。
しかし彼らはそれをお互いに承知の上で詭弁の応酬をしているのだから、勝っても負けても恨みっこなしであるが、日本人とりわけ敗戦後の日本人は、それを全く知らないか、知っていながら彼らの言うままに迎合し、その宣伝のお先棒を担いでいる者が大半になってしまった。
2012年7月28日(土)の日記に 「・・・満足せる豚の屠殺場への入場・・・」 と書いた所以である。
それは、世界平和のための自己犠牲などという奇麗事で終わるどころか、結局、彼らのたくらむ悪事に加担することになると知るべきだ。

無私の精神とは、一言で言えば、ことに当って、自分の命は優先しないということである。
若し、咋今流行の人命尊重なるものが、「相手の命を尊重せよ」という意味であるならば、それに続いて、「そのためには、自分の命を捨てなければならないこともある」、と付け加えなければならない。 自分の命が惜しい人間が他人の命を尊重できるわけがない。

西郷隆盛が、率先垂範し特攻隊員 たちが命を掛け、さらに石原慎太郎が老躯を押して訴え続けていることもそれである。 たとえ、日本民族が滅びても、人類が存続する限り、記憶されるべき文化遺産の筆頭に挙げられるべきであろう。 富士山の世界遺産指定に(本気で!)喜んで居られる人たちが羨ましい。

2013年4月19日金曜日

12回目の駒場のクラス会・・・今年で3年連続の欠席

昨日の18時から、駒場文科一類六組(独語クラス)の同窓会が、昨年と同じ飯田橋のホテルエドモントで開かれた。

3年前に病後1年経ったところで張り切って出席したものの、その後の回復が遅々として進まず、2年続けて欠席していたので今年こそはと意気込んでいたのだが、3月になっても東京往復と夜の会合をこなす気力が涌かず断念せざるを得なかった。

幹事の堺君に、"今年はまだ無理だが来年以降も諦めたわけではない" 旨、返信しておいたので、一応、今後出席可能性のある者数名のうちには数えてくれているようだ。因みに去年は14名で最低記録を更新したが、今回は18名にまで回復し、旅行中の者まで入れれば、次回以降も20名位は見込めそうだとあった。

それにしても、去年の写真では流石に憔悴の色を隠せなかったかに見える江田君や、数年前に舌癌の手術をしてやせ細って見えた石川君の矍鑠たる姿には驚いた。この調子では白寿を達成する者が何人も出そうだ。他にも何年かの闘病生活を乗り切って元気に顔を見せている者もおり、我ながらこれしきのことで愚痴をこぼしているのはだらしがないと反省させられた。

尤も、何年か前に、本邦100名山の踏破を完遂し、その後は、そのうちでも気に入った山(わが赤城山も合格したようだが)を選んで気楽に2度目の登山を楽しんでいると言う下田君(前列左端)の域に達する者はいそうもないが・・・。


2013年4月17日水曜日

江戸城無血開城・・的矢六平衛の目的は何だったのか?

この10日あまり、固唾を呑んで最後のどんでん返しを期待していたが、結局、無理のない象徴的な幕切れとなった。
これ以上書いたら確かに史実に抵触し、物語り全体が空疎なものになってしまったろう。
徳川幕府300年の武士(道)に対する憧憬と惜別の辞として、多くの読者の胸に忘れがたい余韻を残したに違いない。 

しかし、的矢六平衛の行動は一体何を象徴していたのだろうか。
それは、単なる禅譲の儀式などではなく、若き明治帝を真の武士道の継承者にしたことを意味すると考えるのが妥当だろう。
そして、史実によればそれを実際に成し遂げたのは、西郷隆盛と山岡鉄舟の二人だった。
余談だが、薩摩屋敷での西郷との会見に臨んだ幕府側使者団に海舟の名はない。
同席したことを示す記録もない。海舟自身が"氷川清話"の中でそう語っているだけである。
さらに言えば、無血開城において、勝が果たした役割は、徳川慶喜→高橋泥舟→山岡鉄舟で決断した策を承認し・支援しただけである。 
維新後の論功行賞で鉄舟が何も申請しないので、その理由を聞かれ、"勝さんが自分がやったと書いているのに恥をかかせることになるから" と言ったのは有名な話だ。
もちろん、勝もそのつもりでいろいろ画策していたはずだから、嘘を書いた心算はないだろう。
しかし、使者を決めかねて、思案に暮れているところへ現れた山岡という初対面の旗本が、只者ではないことを見抜き、渡りに舟と飛び乗ったに過ぎない。 その辺が海舟のずるいと言うか要領の良いところで、"・・・名もいらず" という鉄舟とは対照的である。
尤も、海舟は生涯、西郷と鉄舟に対する賛辞を惜しまなかったし、西郷も鉄舟も元々名利に関心のない人達だったのだから我々俗人があれこれ論うのは控えるべきだろう。 
特筆すべきは、二君に仕えずと言って新政府への任官を固辞していた鉄舟を説得して10年間(明治5-15)の約束で明治天皇の侍従に引っ張り出したのは、西郷であったということだ。
若しこれが無かったなら、明治天皇は、維新の元勲と称する野心家達の権謀術数に振り回され、ドナルド・キーンが大著「明治天皇」の中で賞賛しているような、仁慈と慧眼を併せ持つ不世出の帝王にはなり得なかったろう。
そう考えると、史上類のない偉業を成し遂げ、江戸、ひいては日本、さらに非白人諸国を救った真の功労者は、西郷隆盛と山岡鉄舟の二人であったと言わざるを得ない。 
一方、機を見るに敏な海舟は、枢密院顧問という政府の中枢にありながら、征韓論、西南の役を巡る権力闘争には距離を置いて沈黙を守っていたが、西郷が征韓論の濡れ衣を着せられ、さらに西南の役で賊軍の汚名を蒙った後は、一転、彼の名誉回復に尽力し、遂には靖国神社への合祀こそならなかったが、私邸の近くに留魂碑を建立しているくらいだから、明治帝と西郷、鉄舟の間に余人には窺い知れない強い絆があったこと、そしてそのことを最も深く理解していたのが海舟だったこともまた疑う余地がない。
氷川清話によれば西南戦争の間、勝は旧幕臣の暴走を抑えるため水面下の工作に奔走していたそうだ。 
因みに西郷は征韓論など唱えたことはなく、自ら渡韓し、烏帽子・直垂の礼装で朝鮮王朝の顕官と会見し、西洋列強の前で東洋人同士が相争っている余裕はないことを訴えると言っただけである。
まさに、鉄舟が単身、駿府へ赴いたときと同じことを自ら朝鮮政府を相手にやろうとしたのだ。
それを、恰も軍勢を引き連れて朝鮮征伐に乗り込むかのように喧伝し、征韓論者に仕立て上げて追い落としたのが維新政府の野心家(実は征韓論者)達で、彼らの本音は西郷の追い落としと天皇の傀儡化、そして朝鮮国内の反日勢力の温存による征韓論の正当化だった。 
もし、西郷の渡韓が実行されていたら、朝鮮王朝が我が国を見る目も少しは変わっていたろう。 朝鮮王朝の中枢にも、国際情勢に通じた具眼の士はいたはずだ。
しかし、彼らと雖も我が国が礼を失した態度で臨んだため、朱子学の礼式に拘る朝鮮国内の侮日世論に同調せざるを得なかったに違いない。
その限りにおいて、今日に至る韓国の反日歴史認識の元凶は彼等明治維新政府の野心家達だったと言っても過言ではない。 
これを機に西郷は野に下るが、元々彼に野心など有るはずも無く、その後に起きた西南戦争も政府転覆を企図したものなどではなく、政争に明け暮れるばかりでなく、天皇をつんぼ桟敷において国政を壟断し始めた元勲達への死を賭した警告だったと考えるべきだ。 
しかも、この間の天皇や勝、山岡の言動には西郷の真意に対する疑念は全く無かったばかりか、むしろ、お互いの立場で相呼応した行動を取っていた節すらある。
このことに関して直接言及した資料は寡聞にして知らないが、幾つかの資料に見える彼らの言動が、そう考えることによって矛盾無く理解できることは確かである。 彼らの到達した無私の人格は、いわゆる先進諸国のヒューマニズムや漢民族の倫理道徳の概念を遥かに越えている。
明治以来何人かの日本人が禅や武士道を英語で紹介してきたが、彼等自身の理解の水準がその域に達していない上、西洋人に迎合した子供だましの解説しかしていないので、未だに幕末の傑出した日本人の想像も付かない精神性が世界の常識になっていない。
それどころか、当の日本人からも忘れ去られようとしている。 
最近では、村上春樹のバルセロナ演説が持てはやされているが、新渡戸稲造を超えたとは思われない。
三島由紀夫が欧米の作家達に説明しても理解されないことに絶望した理念の遥か手前で、”西洋人向けの日本人論” を語っているだけである。
要するに、現代国際社会における”世界認識” の西欧流デファクト・スタンダードが余りにも単純すぎて明治期までの傑出した日本人の ”世界観” を理解できないのだ。 
サミュエル・ハンチントンが、「文明の衝突」 において世界の七大文明の一つに、日本文明を掲げた理由を訝る向きが多いが、彼の該博な学識と洞察力は、日本社会の核心に他のどの社会の基準でも量れない何物かが存在することを見抜いていたのだろう。
私も、長い間、このことをどうやって世界の常識にしたものかと思案してきた。
しかし、どんな外国語の達人が解説しても、彼らの言語で語っている限り、不可能だと言うことに気が付くのに左程時間はかからなかった。要するに、彼らが自ら禅や武士道を日本語で学び、実践するしかないと言うことだ。
なにしろ鉄舟自身が禅は難しいからと言って周囲には勧めず、夫人にも浄土宗を勧めていたというくらいだったのだから。
日本精神が理解されない理由・・・それその特殊性にではなく、その普遍性にある。
2013年2月25日月曜日の日記 「人生の最終章を迎えて改めて思うこと」 の中で 「人類における最も深遠な思考が英語で語られていると言う証拠があるなら是非見せて欲しい・・云々」 と書いた所以である。 
的矢六平衛と共に失われたものが如何に大きかったか、思い半ばに過ぎるものがある。

2013年4月4日木曜日

江戸城無血開城・・的矢六兵衛の人物像は山岡鉄舟-α!

2013/01/24の投稿 浅田次郎の描く江戸城無血開城・・謎の旗本、的矢六兵衛」 の項には、すでに180件ものアクセスが集中し今だに衰える気配がない。 このブログの1つの項目へのアクセスが3桁に達することはあまりない。 私に限らず無数の読者が浅田氏の手の上で踊らされている・・と言うより、謎解きを楽しんでいるのだろう。 勿論、私もその一人である。

そこで、これまでに、明らかにされた事実(?)を整理してみた。
①幕末から明治にかけて壮年期にあった比肩する者のいない人格の持ち主。
②勝も西郷も、さらに、幕閣の重臣や公家たちまで、怪しまないどころか、陰に陽に支援している。
③主戦派である土佐の板垣や長州の大村、木戸に対しては、何を言われても動ずる気配がない。
④幕府側でも殆んど顔を知られていない。
当々・・・。

もし実在した人物で、そのように見事な侍がいたとすれば、なおかつ、その妻女の言動を合わせて考えれば、思いつくのは、言わずと知れた江戸城無血開城の陰の立役者、彼の山岡鉄舟しかいない。
勝や西郷らが、無血開城での最後の混乱を抑えるための要石として送り込むには、余人を持って替えがたし、という結論に達したとしても不思議ではない。
西郷が鉄舟の人格に感嘆して海舟に語ったと言う 「命もいらず名もいらず・・・鉄舟一人を持っただけでも流石に徳川家は偉いものだ」 という人物評そのままの言動である。 六尺豊かの長身(188cm)だったことなど出来すぎである。

後に、駿府に、身を引き、旧幕臣の生計を憂慮して、富士の裾野の開墾を発案し、かねてから昵懇の清水次郎長に協力を要請したこと、西郷の懇請で若き明治天皇の養育係りに召しだされた際、阿諛追従に奔走する取り巻きを尻目に、少しも阿ることなく身をもって範を示し、かえって明治帝から絶大な信頼を得たこと、死期を悟るや斎戒沐浴して皇居に向かって結跏趺坐し、別れの挨拶に立ち寄った海舟が辞去して間もなく絶命、死後も姿勢を崩さなかった-坐脱というそうだ-こと等々、彼の器量と人格を伝える記録は枚挙に暇がない。
作家の構想力は我々の浅知恵を遥かに越えたところに有るのが普通だから、最後の種明かしは上記のように誰でも思いつくようなところには無いだろう。 しかし、的矢六兵衛の人物像を設定するにあたって、浅田氏の念頭にあった 「ラスト侍」 の一人に 剣・禅・書 の達人、山岡鉄太郎(鉄舟)がいたことは確かだ。

いわば、 江戸城無血開城・・仮想の立役者」 とでも言うべきか。

2013年3月22日金曜日

今年も同窓会出席を断念・・後遺症の伏兵、鬱病

先週の金曜日には、中学の同窓会(桐生市立西中学校昭和30年卒同窓会東京分会)の案内メールに欠席の返信を出したばかりだが、今日は、その2日前に予定されている大学の同窓会(1960年入学文1-6組)の案内メールにも最終的に欠席の返事を出した。 中学の方はこれで4年連続、大学の方は、3年連続の欠席となる。 思えば、3年前(2010年4月)、妻と一緒に泊りがけとはいえ良くも大学の同窓会に顔を出す気になったものだ。 それだけ回復の期待と実感が強かったのか、それとも死期の切迫感が強かったのか、恐らくその両方だろう。

ここ数ヶ月、体力は確実に回復してきている(注)のに、それに反比例するかのように気力が衰えてきているのが不思議と言えば不思議である。 しかし、これが後遺症の最後のかつ最も始末の悪い鬱病のなせる業だとすれば、焦らずに(!?)何年でも持久戦の心算で耐えるしかなかろう。
しかし、たえず鬱の通奏低音に曝されながら、途切れ途切れに聞こえる懐かしき調べを繋ぎながら生き続ける綱渡りがいつまで続けられるか甚だ心許ない。 そうこうするうちにも級友達が、一人、また一人と去って逝く。

3年前、ゼミの友人達が茅ヶ崎の我が家に見舞いに来てくれたとき、嘗て数年間、脳梗塞の後遺症で鬱病に苦しんだ小田君が、「関口、お前、鬱病には、ならないのか、あれは苦しいぞ・・とにかく死にたくなるんだ・・」 と言っていたのはこのことかと骨身に染みて分かった気がする。
もし彼からそのことを聞いていなかったら、果たしてこうして耐え続ける覚悟が出来たかどうか・・。 持つべきものは友人だとつくづく思うこの頃である。

(注): 体重を例に採ると、運動能力は別として、発症前54キロ→手術直後40キロ台前半?→3年後48キロ→現在50キロ と回復(?)した。 娘の言によれば、ICUで植物状態だったときの私は、まるでアウシュビッツ(のユダヤ人のよう)だったそうである。 個室に移されて意識が回復した頃も、妻と交代で寝ずの看病を続けながら"お父さんにはお尻がない!"と言っていたことを思えば良くぞここまで回復したと言うべきか。 小田君が、3年前に私の回復振りを見て"驚異的だ"と評した所以である。

2013年3月16日土曜日

親友の死・・果たせなかった赤城詣で

昨夕、妻の車で、一人暮らしをしている長男の病気見舞いに行ってきた。
近頃良くある孤独死と言う言葉が頭を過ぎったが、幸い命に別状があるほどのことではなかったのでほっとした。

一休みしてから、OUTLOOK の受信メールを開くと、赤坂でカラオケレストラン(のんのん)をやっている椎名君から桐西会(桐生市立西中学校昭和30年卒同窓会東京分会)の案内が来ていた。
4年前の発症以来一度も出ていないので、今年こそはと思っていたが、やはり東京往復と夜の会合をこなす気力が湧いてこない。 残念ながら今年も見送ることにした。

ところが、その末尾に、「今朝、阿部佳文君が急逝しました。 ・・・関口君の(ホームページの)赤城山の話を前回の時、嬉しそうに話していたのが最後です。」 と書いてあったので思わず息を呑んだ。 去年の4月末のメールで毎年春と秋に大熊の小父さんと小母さんの墓参りをしていると言ってきたので、いつか一緒につれていって貰えるようになりたいと返事を出して楽しみにしていたのに・・・残念だ。

そう言えば、去年の11月20日付けメールで、「・・・桐生(の西中昭和30年卒同窓会)から帰って以来体調を崩し、最近までウダウダしていました。
そのために、今年は例年行事である、赤城への紅葉参りもできませんでした。」 と言ってきたので、流石のスーパーマンも歳には勝てないか・・・と気にはしていたが、まさかこんなに急に逝ってしまうとは!

何とか生きているうちに大熊ご夫妻のお墓参りをしなければ・・・

何時の日か 共に辿らん 懐かしき山路を
何時の日か 共に語らん 思い出の夏の日
あの湖     あの坂道  美しき白樺
今もなお   思い出るは 緑の森の家

2013年3月12日火曜日

人は死んだらどうなるか(究極の難題)・・その1

死んだらどうなるか。
これは誰もが無関心ではないが、あえて考えることを避けている究極の難題である。
私は、それではいけないと思いながら、あれこれ考え続けてきたが、その都度、中途半端な思いつきの段階で中断し、後でまたゆっくり考えることにしようと自分自身に言い訳することを繰り返し、結局、元の木阿弥に終わってきた。
しかし、いよいよ死が射程距離に迫ってきたうえ、他に何もこれといった責任のある役割も持たない被介護老人に成り果てたので、これを機にせめて問題の整理だけでもしておくことにした。

まず、議論の取っ掛かりとして、人々の死生観の分類から始めることにしよう。
しかし、この分類と言う作業ほど難しい知的作業はこの世に存在しないと言っても過言ではない。
なぜなら、この分類枠組みをどう設定するかによって殆んど解の所在、或いは存否が決まってしまうからである。
しかも、世の中に流布されている分類基準の多くは、それ以前の誤謬、或いは意図的曲解に充ちている。 つまり、排他的全事象を網羅していないか、カテゴリーエラーの多くを見過ごしている。
とくに、社会科学の多くがそうであるし、自然科学といえども例外ではない。 さらに、宗教にいたっては分類作業そのものを背信行為として拒否している。 こんな重要な問題が数千年間もなおざりにされてきた所以である。 人は考える葦だと言った哲人が居たことは良く知られているが、都合の悪いことは考えない木偶の坊だと言った人も何処かに居たに違いない。

たとえば、
中断: 2013.3.12 いつもこの辺で止めてしまうのだが、今回は、自反而縮 雖千萬人 吾往矣!
再開: 2013.?.?

再開: 2015.1.15

2013年3月11日月曜日

Believe me: 春の日の花と輝く

浪人1年目の思い出の歌を載せたついでに、2年目の夏の思い出に繋がる歌を載せておきたくなった。

当時、古本屋で買ってきた世界名曲集に載っていた歌がどんなメロディーか、楽器と言えば半音のないハーモニカしか持っていなかった私には、皆目見当がつかなかったので、ドレミの音符を辿りながら一曲を数日がかりで解読するありさまだった。一冊に100曲くらい載っていたので全部終わるのに何ヶ月かかったか記憶にないが、時々ラジオで聞いていいなあと思っていた歌を探し当てた時などは、嬉しくなって、毎日、散歩の途中に文字通り愛唱したものだ。中でも"マギー若き日の歌を"とこの曲は特に印象に残っている。

始めて聴いたのが何時だったかはっきりしないが、学生時代、何かの用件で館林市下早川田町の母の実家を訪ねる途中、佐野駅から程近いバスターミナルで館林行きのバスを待っていた時、すぐ横に立っていた望楼の拡声器から突然、このメロディーが流れてきたので吃驚したことがあった。音符の読み通りだったので嬉しかった記憶があるから、きっとこれが聴き染めだったのだろう。

今から50年も前のことだが、お昼のサイレンの替りに、ウェストミンスターチャイムを鳴らす自治体がチラホラと登場し始めたばかりだったので、こんな田舎町でこんな綺麗なメロディーを流すからには、職員の中に然るべき趣味人がいるに違いないと感心した。




When you and I were young, Maggie: マギー若き日の歌を

懐かしい歌を2曲載せたので、ただ懐かしいだけでなく胸に迫る歌を1曲載せておきたくなった。 

1958年、浪人一年目の夏、西荻の駅近くに下宿して水道橋の予備校に通っていた頃、毎晩のようにラジオの歌物語を聞いていたが、ある晩、エノケンの歌い語りでこの歌が流れてきた。歌詞やメロディーもさることながら、晩年のエノケンが切々と歌う一節々々に、身震いするほどの感動を覚えたのを思い出す。まさに至芸とも言うべき絶唱だった。改めてエノケンこと榎本健一は天才だと痛感した。

YouTube で少しでもあの時の印象に近い歌唱をと探しているが、なかなか見つからない。 Wishuey さんの擦れ声Foster and Allen の生真面目さを足して2で割ったような・・と言えば、ややそれに近いと言えようか・・・


さらば60年代・・今日も夢見る

ジリオラ・チンクエッティの "Non ho l'età" がヒットしてから2~3年経った頃だろうか、銀座の東芝ビルでタイムセラーズが "今日も夢見る" というデビュー曲のキャンペーンライブをやっている所に偶然居合わせたことがある。
経緯は、ホームページの "追憶十話その7・・様々な因縁の地" に書いたので此処では割愛する。
とにかく、私にとっては忘れられない思い出の歌の一つである。

2013年3月9日土曜日

さらば60年代・・Gigliola Cinquetti - Non ho l'età サンレモ音楽祭 1964

この歳になると、無性に昔の歌が懐かしくなる。 サンレモ音楽祭で優勝したジリオラ・チンクエッティの Non ho l'età (邦題:夢見る想い)もその一つだ。 イタリー語ばかりのコメントの後へ、拙い英語のコメントを入れたら、評価の高いコメントの2番目に並んだのでびっくりした。 何処の国にも同じ思いの人たちが居ると思うと嬉しくなる。

 The year 1964 has special meaning in my life.. This year, I graduated Tokyo University, Olympic Games was held in Tokyo, and above all Gigliola Cinquetti won the first place at the Sanremo Music Festival, singing Non ho l'eta.



Non ho l'età, non ho l'età per amarti
Non ho l'età per uscire sola con te

E non avrei, non avrei nulla da dirti
Perché tu sai molte più cose di me

Se tu vorrai, se tu vorrai aspettarmi
Quel giorno avrai tutto il mio amore per te

Lascia ch'io viva un amore romantico
Nell'attesa che venga quel giorno, ma ora no

2013年2月28日木曜日

フェイスブックの使い道・・交流の場か情報発信基地か

2年前の2月、フェイスブックに参加した動機は、その実名主義と開放性に期待したからであった。
しかし、その後、2つの点で私の期待は裏切られた。

① 意図的にか否かは問わないが、事実上の匿名や成りすましの横行を許し、一向に取り締まる気配がないこと。 
表向き、実名主義を標榜しているだけに一層たちが悪い。 謂わば、"サブマリン型匿名" である。

② 外部のサイトやメールアドレスへのハイパーリンクを閉ざしたままで今日に到っていること。
これでは、私のように一本指入力しか出来ない事実上の身障者にとっては、入力の負担が重過ぎ、情報発信のツールとしては使えない。 恰も、全ての情報をフェイスブックネットワークの内部で完結させようとしているかのごとくである。
ソーシャル・ネットワークというのは、"社会に開かれたネットワーク" の意味だとばかり思っていたのは、私の思い過ごしで、本来の意味は "社交会に閉じたネットワーク" ということだったらしい。

そこで私としては、当面、次の方針で様子を見ることにした。
① "友達" を慎重に選ぶ・・・社交会である以上、当然のこと。
② 情報発信の場としては、他のサイトを使用する・・・場違いの期待をする方が無理。

と言うわけで、以下は、"フェイスブック関口益照の頁" に載せたお知らせ公告文です。

お知らせ

今月末(2013年2月28日)を以って暫くフェイスブックの更新を休止することにしました。 閉鎖ではありませんので、これまでの投稿はご覧いただけますが、あらたなコメントはお控えください。
理由は、インターネットの最大の利点である外部(ウェブ頁およびメールアドレス)へのリンクが閉ざされていることです。

多くの方々は、仕事や社交の場として利用されているようですが、私は自己紹介欄にも書いたとおり、奇縁・好縁の発見が目的で始めたことですので、この場は専ら "表札" として使わせていただきます。。

今後は、ホームページ 『一期一会 Our Eternal Moment』 と ブログ 『病床日記』 および 『50年前の今日の日記』 に専念したいと思いますので、ご関心をもたれた方は、そちらをご覧ください。

此処にはHPやブログへのリンクを貼れませんが、幸い同名異人がいませんので、FB以外の検索サイトで私の漢字姓名 "関口益照" を事実上のアカウントキーとしてアクセスしていただけます。


追伸:休止するのは、私自身によるタイムラインへの追加投稿のみで、皆さんからのフィードやメッセージは従前どおりお受けしますので今後とも宜しくお願いいたします。

2013年2月27日水曜日

Alte Kameraden 2009

ウイーン楽友協会での Radetzky March や ロイヤル・アルバート・ホール での Land of Hope and Glory も良いが、これも、甲乙付け難い。


2013年2月25日月曜日

人生の最終章を迎えて改めて思うこと

若い頃からそうでしたが、最近はとくに五月蝿くて仕方がないのは、フェイスブックに限らず、あらゆるメディアが標榜している "世界共通語=英語" の大合唱で、精神的な拷問を受けているような気持ちです。 
"商売には" とか "科学・技術には" とか但し書きがあるなら、そう考える人たちが居ても、"我関せず焉" を決め込めば良いと思うだけですが、あらゆる分野における人間の営為は英語で充分語ることが出来る、或いは語られるべきだと言うような "英語至上主義者" の跋扈には我慢がなりません。
これは形を変えたホロコーストでしょう。
人類における最も深遠な思考が英語で語られていると言う証拠があるなら是非見せて欲しいと思います。 
学生時代には、単なる好奇心から英・仏・独・露・西・伊・羅・・等々に首を突っ込みましたが、どれも似たようなもので特に深遠なことが語られているようには思えませんでした。
当分の間(数百年?)は、英語通のほうが、"満足せる豚" としては楽をする時代が続くかも知れませんが、それも当てになりません。 50年前のロシア語ブームは一体何処へ行ってしまったのでしょう。
目先数十年のことなどは、どうでもよくなって来ました。
私に言わせれば、"英語を知らないと日本人は損をする" のではなく、"英語しか残らないと人類は損をする" と言うのが正しい認識です。
三年前、A型大動脈解離からの生還一周年を機にWEB自分史を立ち上げた際、英語版も併設しようかと思い、ホームページの冒頭に【English】 の見出しを付けておきましたが、日本語ですら言いたいことを言い切れないのに、何もそこまですることはないと思って、そのまま一行も書いていません。 縁があれば、彼らのほうで日本語のまま読んでくれるだろうし、逆に縁が無ければ日本人でも関心を持ってくれることはないだろうと思うのが私の人生観です。
ホームページの 『情報貝塚』 構想に "いつか、誰かが" と書いたのも同じ思いからでした。

2013年2月14日木曜日

深夜の不審工事車・・予告無きケーブル工事

先日の深夜12時過ぎ、茅ヶ崎の我が家の前に工事車が止まり、騒がしく何やら始めたので、何事かと思い玄関ドアを開けて様子を見ようとしたのを、妻に押し止められた。大規模な犯罪グループだったら大変だという訳である。確かに、工事を装いクレーン車でATMごと持ち去るような事件があるから、用心するに越したことはない。

妻は、始め、110番しようかと思ったが、思いなおしてCATV会社に電話したところ、誰か住民からインターネットが繋がらないから何とかしろと強硬なクレームがあったらしい。
住宅地の真ん中で、深夜に周囲の住民に断りも無く工事を始めるからには、"防災茅ヶ崎" の緊急通報が有って然るべきだ。 津波や山火事ならともかく、たかが一私人の趣味か仕事の都合で勝手にやって許されることではない。 しかし、こちらの抗議に対してJ社は謝りもせず言い訳ばかりだった。

よほど、重要な顧客なのか、ヘビークレーマーだったのか知らないが、その言いなりになるCATV会社(J社)の非常識には呆れた。 私自身、4年前にこの病気で倒れる前は、いつも研究室のPCにリモートでアクセスし、翌日の講義資料の準備をしたりしていたので、困る事情は判らないではない。 しかし、近所迷惑を押してまで片付けなければならないような重要な仕事があるなら、始発電車で早朝出勤するか、それで済まないような重要な仕事なら、前日から職場に泊り込んで然るべきである。 現に私はそうしていたし、多くの企業では、宿泊の用意までしている。

最近のネット族(業者およびユーザー)の非常識と傲慢ぶりは目に余る。
とくに、実名を建前としながら、事実上の匿名や成りすましの横行を許しているフェイスブックの姿勢には疑念を抱かざるをえない。

2013年1月24日木曜日

浅田次郎の描く江戸城無血開城・・謎の旗本、的矢六兵衛

数ヶ月前から日経朝刊に浅田次郎が幕末の江戸城を舞台に謎めいた小説を連載している。

無血開城して官軍に引渡しが済んだはずの江戸城に一人の謎めいた、しかし端倪すべからざる旗本番士(言わば近衛騎士)が居残って周囲の誰もが腫れ物扱いしているという筋書きである。

勝(海舟)や西郷(南洲)の問いかけにもだんまりを決め込んでいると言うから勿論只者ではない。 読者は私を含めて固唾を呑んで翌日の展開を待っている・・・というより自分の知識と想像力を動員してあれこれ勝手なシナリオを描いているといったところだろう。

この間に、その背景について私の脳裡を過ぎったのは以下の二つの想像である。

ひとつは、誰もが考えたであろう欧米列強の介入と植民地化の脅威であり、これは恐らく勝や西郷だけでなく、幕府、官軍を問わず主要リーダー達が共有していたはずである。 私もいつそれが言及されるか心待ちにしていたが、やっと今日(1月24日)になって尾張義勝の口から語られた。 番士も半分は納得したようだが、未だ何かすっきりしない態度に見える・・・というところで後は明日のお楽しみとお預けを食わされている。 明日からどういう話になるか楽しみだ。

もうひとつは、榎本武揚が幕府海軍を率いて函館五稜郭に立てこもったのは、海舟の意を受けて、将来日清朝連合艦隊の核となるであろう幕府海軍を温存すると同時に列強の蝦夷侵攻を牽制・阻止するためだったのではないかと言うことだ。 今年の年賀状でも何人かの関係者宛には付記したので、さすが先見の明と褒められるか、知ったかぶりの無知を笑われるか、はたして今後どうなるか判らないが、私にとっては、以前から殆んど確信していた事実である。

さもなければ、ライデン大学に留学し、数ヶ国語に通じていたほどの開明派の彼が伊達や酔狂で、国内分裂を企図するはずはないし、あっさり、降伏して明治政府の要人として農商務大臣や逓信大臣として明治国家のインフラ建設に起用されたはずもない。 はたして、その意図があったのか結果としてそうなっただけなのかは、近代史の専門家の間では常識に類することかも知れないが、私自身は寡聞にしてそのような論説にお目にかかったことがない。 明日からの筋書きのなかで浅田氏が彼についてどんな言及をされるか、これももうひとつの楽しみである。 

因みに榎本武揚は、私が勤務していた東京情報大学の設立母体、学校法人東京農業大学の創設者であると共に、妻の曽祖父山本榮四郎らが、足尾鉱毒被害の地元農民代表として窮状を訴えた相手でもあり、私には特別の思い入れがある。