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2011年12月26日月曜日

お役所からご指導を受けた!?

ある所に20年ほど前、借金して建てたいわゆるセカンドハウスが朽ちかけたので、なけなしの貯金をはたいて修復をしたところ、あるお役所から何かの規制に抵触していると言うご指導を受けた。
詳しいことは年明けに改めて連絡されると言うので、それを待つほかないが、それにしても、工事の完了後に指導していただいても、年金収入しかないリハビリ老人にやりなおす資金の余裕があるはずは無く、どういう事になるのか気がもめる話ではある。

こういう事件は、全国いたるところにある筈で、同じ立場に立たされてお困りの向きも多いと思う。参考までに、私の意見を述べておくので違っていたら遠慮なく指摘して欲しい。 ただし、前にも何度か述べたように匿名での反論はご遠慮願いたい。

事件のパターン
① 市民に奉仕する立場にある役人が、市民を指導すると言う趣旨が、良くわからない。
② 指導と言うのは、事前に行うものだと理解していたが、事前報告していたにも拘らず、工事完了後に指導すると言ってきたのは、一体何があったのだろう。
③ これらを、すべてお上意識と責任逃れのためだと解釈すれば、事は簡単だが、こちらに重大な瑕疵があったのかも知れず、一方的な判断をするわけにもいかない。

私の理解する行政とは
① 私の義父(山本達司)は群馬県館林市の助役を勤めたのち市長に押され、5期20年その職にあったが、職員の指導はしても、主権者であり、税金によって自分達を支えてくれている市民に対して指導などというおこがましい言葉を使ったことは無かった。 職員に対しては、怠け心への逃げ道を塞ぎ、公僕に徹することを求め、事あるごとにこう言っていたそうだ。
『能力のある者は能力で働け、能力のない者は体力で働け、体力もない者は真心で働け!』もちろん、市民のためにである。
② 駒場時代のクラスメートで今でも毎年4月の同窓会で顔を合わせる石川嘉延君は、ついこの間まで静岡県知事をこれまた4期16年務めていたが、彼の口から部下である県職員や国際経験の乏しい県議を教育すると言う言葉は聞いたかも知れないが、郷土静岡の県民を指導するなどといった言葉は聞いたことがない。 
③ 指導とは、あくまでも部下に対して行うものであって、主権者である一般市民に対しては、奉仕(サービス)ないし助言と言う言葉を用いるべきである。濫りに法に定めのない指導など行うべきではないし、実際、その多くは越権行為である。

駒場時代、法学部などに行く連中の気が知れないなどと嘯いていたが、こうして大組織を離れた一介の市民になってみると、彼らの方が遥かに大人だったなと思う。
おかげで人格識見ともに優れた多くのクラスメートに恵まれ、いつでも相談できるのだから、人生何が幸いするか分からない。

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