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2010年5月31日月曜日

古書店でまたまた収穫

2月24日の日記 『病床雑感・・・人生の最終章』 に、近くのスーパーに開店した古書店で、舛添要一氏の著作 『母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々』 を見つけたことを書いたが、今日、久しぶりに行って見たら、今度も一つ収穫があった。 江藤淳の 『妻と私』 と題する小品である。 江藤氏とは残念ながら面識は無かったが、氏の著作 『閉ざされた言語空間・・・占領軍の検閲と戦後日本』『南洲随想』 で 氏の烈々たる憂国の情に触れ、一度は会っておきたいと思っていた人物の一人だった。 晩年は我が家から程近い 慶大SFC の教授だったこともあり、いずれお会いする機会も在ろうとのんびり構えているうちに自ら命を絶たれてしまい、2月19日の日記 『同病の著名人たち』 で触れた作家の立松和平氏と共に謦咳に接する 『縁』 が無かったのが残念でならない。 氏と慶子夫人の麗しい夫婦愛については以前から聞き及んでいたものの 『妻と私』 の存在は寡聞にして知らなかった。 冒頭に 『一つの収穫・・・』 と書いた所以である。 例によって古書店に預けたままなので、パラパラと立ち読みしただけで全部読んだわけではないが、夫の妻に対する思いやりは斯くあるべしと反省させられること頻りであった。 古書店に受け取りに行ってもらうのを妻にするか娘にするか思案中である。

2010年5月23日日曜日

同窓会に行ってきました・・・追伸

4月10日の日記に 赤城山と渡良瀬川 に興味のある方、地方分権 に関心のある方はご一覧ください・・云々と書きましたが、もう一つ忘れていました。私の本業だった ITIS に関心のある方もどうぞ。

2010年5月17日月曜日

地方分権の是非

極楽蜻蛉の国らしく・・・ と書いたついでにもう一つ言っておきたくなった。 地方分権の是非については、さまざまな角度から論じられているが、殆ど全て極楽鳶のざわめきに近い。昨日の日記で、国家不要論者と議論しても仕方ない・・・と言ったものの黙っていられなくなった。

順不同で申し訳ないが幾つかの盲点ないし矛盾を指摘しておきたい。

① 『修身斉家治国平天下』
とは、中国古代の戦国時代から2000年以上変わらない人間社会の大原則である。しかし、これは、飽くまでも、『修身』⇒『斉家』⇒『治国』⇒『平天下』 の順序でなければならない。 『修身』 だけで一生を終わってもまったく差し支えないが、これ無くしてまともな家や国はありえない。 敗戦後は、修身=道徳=戦争礼賛 というわけの判らない洗脳教育(占領軍の置き土産)の再生産が(彼らの犬とその後継者達によって)未だに続いている。 それでも生まれつき筋のいい若者達が、本能的に 『修身』 につとめ、どこかの国が支配している 『天下(国際社会と言うらしい)』 で(ローマの剣闘士のように)奮戦しているのは健気であるが、考えてみれば痛ましい限りである。
まして、彼らをおだてながら 『修身』⇒『斉家』⇒『治国』 を素っ飛ばしていきなり 『平天下』 を論ずる無責任な 『国家不要論者』 の跋扈には我慢ならない。 即刻、国外退去を命ずるか、国籍を剥奪して然るべきである。

② 『地方分権』
の語呂がいい所為か、根拠の無い線引論が横行している。 線引きは飽くまでも 『郷土』 を単位とすべきだというのが私の主張である。 ここで言う郷土とは 『原風景を共有しうる地域』 の意であり、同時に 『愛郷心を共有しうる地域』 の意でもある。 たとえば、私の家は祖父の代から群馬県桐生市に住み、私自身、高校時代までをそこで過ごしている。その私にとって郷土という意識が持てる地域は、市内を貫流する渡良瀬川の流域で、同じ方角に同じ姿の赤城山を望む地域、いわゆる両毛地区であり、その中には栃木県に属する足利市や佐野市も含まれる。断じて、前橋や高崎を含む「群馬県」ではないのである。要するに 『地方分権』 は 『原風景の共有によって支えられた愛郷心』を基礎としなければ、砂上の楼閣と帰すか、さもなければ、権力の争奪戦に堕すだろう。 どちらにしても大部分の住民にとっていいことは何も無い。書きたいことは、山ほどあるが 、いずれ洗脳されたゾンビ世代が死に絶えれば黙っていても、古来の真理が貫徹するだろうから、あまり騒がないことにしよう。


追記:上記に関しては、その後の情報ネットワークの発展を考慮しなければならないことは言うまでもない。その影響をどう考えるかに関しては、下記の論考を併せて参照されたい。

「情報技術の進歩と都市概念の変容」(「都市問題研究」:都市問題研究会 2001.1)

2010年5月15日土曜日

『解離性大動脈瘤』 と 『急性大動脈解離』の違い

極楽蜻蛉の国らしく米軍基地忌避論と某元野球監督の解離性大動脈瘤発見のニュースが喧しい。
前者について国家不要論者と議論しても仕方ないので、後者について付言しておきたい。

まず最初に、2月19日の日記 『同病の著名人たち』 から引用させていただくと・・・

昨日の日経に載っていた週刊誌の広告で、作家の立松和平氏が去る2月8日、解離性大動脈瘤で死去したことを知った。氏には道元田中正造に対する関心を共有することで以前から親近感を抱いていたので、ぜひ一度会いたいと思っていたが、それも果たせずに終わってしまった。

私の『急性大動脈解離』と氏の『解離性大動脈瘤』の異同を述べれば限が無いが、要するにいったん『大動脈瘤』という瘤状態を経由するか否かの違いだと考えれば当たらずとも遠からずである。
いずれにせよ発端は何らかの事情(私の場合は未だに原因不明)で大動脈の中層に動脈血が流れ込むことによって発症する。激痛を伴い、数時間内に死亡するのが一般だそうだが、私の場合幸か不幸かその記憶すら無い。

この投稿も終わらぬうちにテレビのニュースが、“必殺仕事人”こと俳優の藤田まこと氏の訃報を報じていた。こうして大動脈瘤や大動脈解離と言う疾患が俄かに有名になるのを喜んで良いものか、複雑な気持ちである。


TVのニュースは、専ら 『瘤』 の話に集中して 『解離』 はいつの間にかどこかに消えてしまったかに思われる。その理由は、多分、こういうことだろう。

① 『瘤』 に比べて 『解離』 は、生存率も小さい。 
② 『瘤』 に比べて 『解離』 は、説明が難しい。
③ もっとポピュラーになってから扱った方が得策である。  

そう考える理由を私の経験から挙げると

① 4ヶ月間の私の入院中に2件の同病患者が救急車で送られてきたが、いずれも複数の病院を盥回しにされた後、ようやく到着した時は既に死亡していた。 つまり、死亡率100%である。 しかし、このデータは手術における救命率にはカウントされない。
② 私は心臓血管外科の病棟に入院していたが、私の病因と症状をきちんと理解していたのは、主治医と看護師長、主任看護師くらいのものだった。
③ 私自身、銀行のCD障害や年金記録のトラブルについて何度かTVでコメントを求められたことがあるが、TVが説明の対象としているのは、いわゆるミーハーであり、 『大動脈瘤』、 『解離性大動脈瘤』、 『大動脈解離』、 『急性大動脈解離』 の違いを正確に理解しようとするような人たちではない。

そこで、ここでは、『大動脈瘤』、 『解離性大動脈瘤』、 『大動脈解離』、 『急性大動脈解離』 の区分をざっと説明しておくことにする。

① 大動脈は、内中外の3層から出来ており、これらがくっついたまま外側へ膨らんで瘤を作るのを一般に 『大動脈瘤』 と呼んでいる。
② 3層のうち何らかの原因で内層に出来た切れ目から比較的柔らかい中層に血液が流れ込み内層と外層がはがれていくのを 『大動脈解離』 という。
③ 『大動脈解離』 のうち解離が進行せず瘤の状態で小康を保っている場合を 『解離性大動脈瘤』 と呼ぶが、これは、後になって結果的にわかることが多い。
④ 『大動脈解離』 のうち瘤の状態を経ず、いきなり剥れて行く場合を 『急性大動脈解離』 と言い、最も死亡率が高い。 とくに心臓の出口に近い所からはがれだした場合(Stanford classification, type "A" )、内壁から漏れ出た液体が心嚢内に充満し、その圧力で心臓の拍動を阻害して心停止に至るケース(心タンポナーデと言うそうだ)が多く最も致死率が高いと言われている。

この急性大動脈解離は、さらに予兆(一過性脳虚血発作)があってから実際の解離が顕在化するまでの時間で、超急性発症後48時間以内)、急性2週間以内)、亜急性2週2カ月)、慢性2カ月以降)の4種類に分類されているらしい。 私の場合、発症の瞬間を含めて直前2ヶ月間の記憶が全くないので、自分では何とも言えないが、妻の記憶では前日の午後、だらだら坂を上りきったところにある我が家へ自転車で辿り着いた時の私の顔が尋常ではなかったと言うから、それが最初の予兆だったとすれば、超々急性と言うことになる。

最近、TV等のメディアが取り上げるのは殆ど③であり、④で救命できた例を聞いたことがない。 私の場合は、その意味で、周囲の医療関係者から奇跡的だといわれる所以である。
例えば・・・

 主治医は、自分の手術の成績を病院のホームページに公開しているほどフェアな人だが、手術後のICUで植物状態の私を介抱しながら 『先生、助かりますよね』 と問う妻に対して、決して 『ええ、助かりますよ』 とは答えなかった。
 元都内大病院の外科で看護婦長だった叔母が、義姉の通報にいったんは 『よくある病気だから心配ない・・・』 と言って慰めてくれながら、1月ほどして私が食事を摂れるようになったと聞いたとたん絶句したと言う。 叔母に言わせると、私には未だやる事があるのだそうだが・・・はて、いったい何だろう?
 退院後、リハビリのため通院している時、バッタリ出会った看護師がまるで幽霊にでも出会ったような表情を見せた。

一般に紹介される例は、全てといって良いくらい事前の検査で予兆がつかめているケースであり、体調から病院側の態勢まで万全の準備が整っている場合ばかりである。
しかし、『急性大動脈解離』 とくに『超急性大動脈解離』は、いつどこで起きるか知れず、はたして適当な病院があるか、またそのとき有能なスタッフの手が空いているか、さらには近くに誰か頼れる人がいるか等々・・・そもそも限られた時間内に手術ができるかどうか、条件が揃うのは奇跡に近い。


私の場合、それが可能だったのは

① 発症したのが朝9時ごろだった。
② 授業の無い水曜日で家にいた。
③ 妻が救急隊員の示した病院(茅ヶ崎徳洲会総合病院)を直ちに承諾した。
④ 救急隊と病院側の連絡が緊密で到着した時には、準備万端が整っていた。
⑤ 一人しか居ない心臓外科医の手が空いていた。
⑥ 執刀医が優秀だった。

等々・・あらゆる好条件に恵まれたからである。

今にして思えば、このような一見の超救急患者を手薄な陣容の元で受け入れ、救命に漕ぎつけたK医師の胆力と技量には、感謝以前に敬服、脱帽するしかない。


茅ヶ崎徳洲会総合病院には、2001年に前立腺癌で手術を受けた時以来、定期的に検査のため通院していたが、私は泌尿器科の主治医が気に入っており、妻はそのことを十分承知していた。
前立腺癌で手術を受けることを決めた時、学長から必要なら然るべき権威を紹介する用意がある旨の配慮をいただいたが、どんな名人の手に委ねても死ぬ時は死ぬ。 然らば誰に命を委ねるか・・・ それは権威でも技量でもない。 この人になら命を委ねても良いという気持ちになれるかどうか、それを運命だと受け入れる気持ちになれるかどうか・・・ それは 『縁』 だ・・・というのが私の人生観である。
今回の手術では、意識の無い私自身が救命を望んだわけでもなく、病院や医師を選んだわけでもなかったが、はからずも、もう一つの好縁を得ることになった。



追記(2012.10.21)

これまで2年以上に渡って、投稿が1件もありませんでしたが、今年に入ってお二方の投稿を掲載させて頂いて以来、ブログ全体の中でこの項目に限って、立て続けに匿名の投稿が届くようになりました。しかし、私としては、"潜在的に悩んで居られる方々が声を上げるきっかけの一助にはなったかな" と思うと嬉しい反面、気力・体力ともに対応しきれず困惑して居ります。何しろ右手の指一本で、ポツポツと入力しなければならず、それも体調の良い日にしか出来ないので、他の作業がすべて停まってしまいます。 幸い、この2年間に本疾患の詳細な解説サイトも増えてきましたし、これ以上素人の私が書くのは差し控えたいと思います。 と言うわけで、今後は本来の方針に戻って、匿名の投稿はお断りさせて頂くことにしました。

もちろん記述内容に重大な瑕疵があったり、どなたかにご迷惑がかかるような場合は、直ちに訂正あるいは削除するに吝かではございませんが、その場合は必ず関口宛の個人メールで実名でお申し越し下さるようお願いいたします。
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元々私の人生観に "共感" してくださる方が一人でも居られれば(死後でも!)と始めた作業ですので、もしそんな方が居られましたら是非メールをいただければ "望外の幸せ" と思っております。

2010年5月1日土曜日

喉元過ぎれば熱さを忘れる

病状の軽快と共に、それまで如何でも良いと思っていたことがやたら気になり始めた。

国家や政治家は勿論、サラリーマンやスポーツ選手、果ては家畜や野生動物でも、何でもそうだが、ハングリーでないと向上心が無くなるというのが “凡人” の常だというのは、恐ろしいほどの真理である。

以下はとりあえず気になってきた どうでもいいこと の例である。

2010年2月5日金曜日 生還の損得勘定 のところに 300年にわたる白人優位思想の終焉 と書いたが、これは飽くまでも白人優位思想の終焉であって、白人優位の終焉 ではない
優位にあるものがそう簡単に既得権を手放すことはありえない。 それは最近の官僚と政治家の醜い争いを見ても分かることだ。 これなどは蝸牛角上の争いに過ぎないが、これからの100年間は血みどろの人種間抗争が続くはずである。 それをいちばん良く知っているのは恐らく中国の指導者で、彼らは必死になって生き残りの方策を模索しているに違いない。 日本人もそろそろ本気になって、米中どちらの属国になって生き延びるか考えた方が良い。

どうでもいいこと の例を挙げだすと限が無いので、せめて一つくらい どうでも良くないこと を書きたくなった。

同じ日の 生還の損得勘定 の終わりの方に 書いたことを再掲すると・・・

しかし以上の2点をどうでもよいと思うほど感動したのは、ノーベル賞を受賞された小林博士の夫人がTVのインタビューに答えて語ったつぎの一言だった。夫人は小林氏の母堂が氏の受賞を見ずに他界されたことに触れそれが一番の心残りだといった後、こうつぶやかれた。
・・でも 人生ってそういうものですよね・・

未だに 佛家一大事の因縁 を大悟徹底するに到っていない私にとってこれを超えるを言葉を耳にしたことは無い。