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2010年2月6日土曜日

看病=菩薩行

看護と介護は業務として区別されているが患者の家族にとっては意味のない区分である。
私が入院していた4ヶ月の間、妻と娘は1日も欠かさず、家事もそこそこに交代で病室に駆けつけ夜の8時過ぎまで私の看病に明け暮れていた。とくに始めの2ヶ月間、多いときは一晩に12回もオムツを換える修羅場のなかで、毎日狭い病室のソファーに身体を縮めて泊り込み続けたので本人たちもよく身体がもったと驚いている。実際には私の入院中に娘が限界に達し一時入院する騒ぎもあり、これで妻が倒れたら一家全滅だと途方に暮れる一幕もあった。
ところが張本人の私自身は、自分の置かれた苦しい状況から見ると彼女たちに限らず看護師たちも健康そのものに思えるので、労わるどころか折に触れて当り散らす何とも可愛げの無い病人だった。
それにも拘わらず4ヶ月の間、私の前ではただの一度も嫌な顔を見せなかった妻と娘に対しては、ただ脱帽するしかない。しかし、妻や娘、とくに妻に対しては面と向かって有難うと言えない性分なので一人深夜の病室で涙ぐむ毎日だった。
父から生前よく菩薩行という言葉を聞いたことを思い出すがあの4ヶ月の間、妻や娘が全身全霊をあげて私の看病にあたってくれたのは、まさに菩薩行そのものだった。

入院中にお世話になった看護婦(敢えて看護師とは呼びたくない)さんたちにも心からお礼を言いたい。ほんとうに有難うございました。
看護師と言えば、入院中お世話になった女性の一人に、同じ病院のリハビリセンターの帰りにバッタリ出会ったことがある。首にコルセットを巻いているのでどうしたのかと聞くと、頚椎ヘルニアで手術をしたのだという。

『・・ああ、彼女たちも生身の身体に鞭打ちながら、しかし、そんなことはおくびにも出さず毎日毎晩、患者のために働いているのだなあ・・・』 

と頭が下がる思いだった。

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